誕生日特権とは
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くどいほど書いてきたが、チームサプライズメンバーの中で「ゆきりん」「みいちゃん」「きたりえさん」が推しメンだ。また、別枠のレジェンド的な推しメンは「ゆうこ」で、なぜか彼女の誕生日である10月17日は知識としてインプットされている。一推しであるゆきりんの誕生日はまるで知らないのだから、ゆうこのレジェンドぶりが垣間見えるだろう。

そして、西暦は違うが、AKB48デビュー公演日と同じ日に生まれている「横山由依」に対して最も親近感を抱いている。来年卒業予定の現総監督・高橋みなみは、超努力家として絶大な信頼を置く横山氏に総監督の後継を託したそうだ。わしの勝手な妄想だが、誕生日を含め、まさにAKB48と一蓮托生の星の下に生まれているように思えてくる。

そんな横山氏だが、パチンコのスペシャルMCでもわしから絶大な評価を得ている。バイト先の工場で、たぶん餅だったと思うが、商品を袋詰めする手つきの良さを買われて社員にスカウトされたとか。その話は人柄が出ていて実に良かった。

余談ながら、わしの学生時代の同級生である三輪さんに瓜二つである点も好感度を上昇させるが、これは個人的感傷で特に意味がない…こともない!?


とまぁ色々あるわけだが、横山氏に抱く最大の親近感は、なんといっても、西暦は違うがわしも同じ誕生日だということだ。わしの長い人生を振り返ってみても、同じ生年月日の人に出会ったことがほとんどないから余計にそう思うのだろう。単純に365人に1人が該当するハズがないし、話し相手と誕生日を語り合うこと自体少ないから、この繋がりは貴重に思えてくる。横山総監督就任後のAKB48の更なる発展を祈っているところだ。

そんなわけでわしも誕生日を迎え、悲しい現実としてオッサン化が着々と進行、世の無情を痛感している次第だ。年齢を重ねることで人間性に深みが出てくれば良いのだが、相変わらず「ゆきりん」のことしか考えていない情けないオッサンである。横山氏の順調なステップアップに比べ、わしは都落ち寸前の憐れなオッサンなことを付け加えておこう。


ところで、横山氏はメンバーやファンから多数の祝福を受けたことだろう。一方、わしの誕生日には親兄弟からの連絡すらない。コンタクトを取るキッカケには最適な気もするが、わしは親兄弟に対して不義理を重ねているから、当たり前の話かもしれない。無縁社会まっしぐらの人生を歩むハメになったのは自己責任として諦めている。

ただし唯一、会員登録している某航空会社のサイトから、自動的に発送された"形式的な祝福メール"だけは届いている。横山氏との埋めがたい格差には愕然とするしかないが、これも場末のパチンコ打ちの現実の1つだから黙って受け入れるしかない。ただし、決して完全なる無縁ではないことは声を大にして言っておきたい!


どこで道をあやまったのかはあまり考えたくないが、青春期を過ごした2000年前後の大阪時代には、社交辞令の祝辞より遥かに懐が温まる祝福を受けたものだった。

それは2.38円(42玉)交換のラッキーナンバー制の営業下で打っていたことと密接に関わっているのだが、会員登録してあるホールから「誕生月ラッキークーポン」が送られてきたのだ。これもデータベースから無機質に発送されるDMだが、1回交換を回避できる3枚綴りのラッキークーポンや、1枚限りではあったが無制限クーポンまで付いているという価値あるシロモノだった。これほど嬉しい祝福は他に知らない。


この当時は、開店から1時間以内に大当たりを引ければ「無制限札」を獲得(持ち玉壊滅後の現金投資も有効)でき、その後、もう1時間以内であれば、アウトナンバーの大当たりでも「ラッキースタート」扱い(次回4、9などのアウトナンバーを引くまで持ち玉遊技可能。店によってナンバーは異なる)となる。

当時の大阪市内では大抵の店舗で上記のルールが適用されていたのだが、まぁ簡単に言えば、朝から打てる長時間遊技者に圧倒的有利な状況となっていたのだ。ちなみにわしは19時から打ち始める仕事帰りパチンカーで、朝から毎日通えるパチンコ打ちではなかった。

さらに、当時のマイホールでは、夕方18時からの1時間に交換なしのサービスタイムを行なっていたのだが、わしはサービスタイム終了直後の19時からの参戦を余儀なくされるという不条理の真っ只中にいた。

もちろん初回3、5図柄でラッキー札、7図柄なら無制限札を獲得できるのだが、そんなものを簡単に引ける道理はない。はりきって実戦に挑んで大当たりを引いても、アウトナンバーである4図柄を引き当てるのがやっとの始末だった。


そこでクーポンの出番だ。当時を知らない人にこの有り難みは理解できないかもしれないが、これは尋常ならざる福音である。なんといっても、42玉交換で1回交換の条件では、ハッキリ言って勝てない。持ち玉遊技到達までにエベレスト級の高い壁(山)が存在していると言ってよいだろう。もちろん、その高い頂きに挑ませるべく良く回るようにはしてあるが、実戦時間も少ない仕事帰りパチンカーの身分では遊ぶ(あんまり負けない)のが精一杯の有り様だった。

しかし当時のルールでも勝ち方は良く知っていたから、休日にはパチンコ三昧の一日を過ごした。休日に長時間遊技者となった暁に一番価値が高い無制限クーポンを使う。もちろん高回転率の優秀台に座った時に、しかも開店の1時間で無制限札が取れなかった時にちゃっかり使っていたものだ。札の金銭的価値は、初めての大当たりでアウトナンバーを引き、それを無制限札に変更して10時間打って確率通りに当たったと仮定すると、楽に2万円以上ではなかろうか。それほど価値があったのだ。

この頃、大一のバトルヒーロー伝説やピンクレディーを好んで打っていた。バトルのスベリ予告などは今でも充分に通用するだろう。このあたりの機種は、是非ともリメイクしてほしいと密かに思っている。


この当時の必勝法、「良く回る台を長時間打つ」を実践していれば、勝てるチャンスは非常に高かった。スペックも現行機ほど荒くなく、比較的安定した出玉の波を描いていたように記憶している。ただし、トータルの通常回転数は現行機の8割程度(消化が遅かった)の機械が多かったから、その意味では今のほうが勝ちやすいと言えるだろう。

昔を知るオッサンとしては「パチンコは楽に勝てた昔に戻りたい」「人生は若さを取り戻し義理堅く生き直したい」と、叶わぬ夢を見ているところだ。