■第17話:計略 常務編
退職したホールの悲しき末路

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覚悟を決め受話器を手にすると、じんわりとプレッシャーがかかってきた。この1本の電話で全てを片付けなければならない。最低でも、巻き添えをくってしまった2人の主任が納得できる形で収めなければ…。


時計が静かに3時を告げている。

俺が働いていたパチンコ店では、月末の15時から各機械メーカーが機械代金の集金にやってくる。常務はその集金に備え、事務所で約束手形を振り出す準備をしているに違いない。

俺はといえば…あとは事務所に電話をかけるだけだ。準備するものは何もない。芝居を打つ必要もなければ、相手を自分のペースに引き込むための巧みな話術も必要ない。ただただ自然な流れの中で親切な忠告を与え、そして正確な情報を提供すれば済むことである。もちろん、脅迫めいた暴言を吐いて威圧的な態度をとる必要もない。

雇用契約第13号の宣戦布告

「トゥルルル…」

ワンコールで電話は繋がり、受話器からは聞き覚えのある事務長の声が染み出してきた。俺は丁重に挨拶を述べ、常務に繋いで欲しい旨を伝える。

「お待ちくださいませ」

自分の意識の問題なのかもしれないが、事務長の対応には落ち着きのないところが感じられた。短い言葉ではあるが、在職中には聞いたことのないようなよそよそしさと緊張をまとっている。

恐らく雇用契約書の偽造やら給料の減額やらを常務から言われるままに処理し、事情はすべて分かっているのだろう。まぁこの会社で上手く生き残っていこうと思えば仕方のないことではあるが、全くもって節操のないババアだ。しかしそこまでしてあのホールにしがみつかなければならないのかと思うと、何だか哀れにすら感じてきた。


「もしもし?」

ほどなく常務の声が聞こえてくる。耳に刺さるような甲高い声は相変わらずである。

「今日は一体何の用ですか?」

電話口から伝わってくる雰囲気は、いきなりの臨戦態勢。俺は努めて冷静に、そしてゆっくりと話を始めた。

「先日、私宛てに封書が届きまして。今日はそのことで連絡させてもらいました。お忙しいところ申し訳ありません」

すると常務は待ってましたとばかりに説明を始める。そこにカンペでもあるのだろうか、すらすらと淀みない。内容は、予想した通り例の雇用契約書の第13号に関連するものであった。


「第13号 社員は退職または解雇の際、会社に対して債務があるかもしくは債務があるとみなされる場合、すみやかに弁済しなければならない」

100万円分のパッキーカードが紛失した件については、俺が今後、誠意をもって会社に貢献することで相殺しようと思っていたが、承認を得ないままに突如退社したため、その恩情は黙殺されたと判断せざるをえない。そこで、雇用契約13号に則り、俺に支払う予定の退職金に関しては、紛失したパッキーカードの弁済に充てることに決定した、とまぁそういうことであった。

俺は常務の言葉に静かに相槌を打ちつつ、それももっともだろうと話を聞いていた。正確に言うと納得したフリをしていたワケだが…。


俺が何も言い返さない様子を感じ取った常務は、電話越しにも次第に饒舌になっていくのが分かる。すると勢い余ったのか、今度は2人の主任の退職の件に踏み込んできた。

俺が退職するということを知っていながらその報告を怠ったとして、職務規定違反で解雇せざるをえないということだった。しかしここまで精一杯尽くしてくれた2人だから、本心としては会社に残してあげたかったし、それが無理であれば、せめて退職金ぐらいはきちんと支払いたかった、と。しかしながら懲戒解雇のため、主任2人には退職金も払えないと続けた。泣く泣くのことであると。

「そうだったんですか…」

俺は静かに話を聞いていたが、既に主任達からこの件は聞いているので、とんだ茶番だとしか思わない。


一通り説明し終えたのか、今度は俺に2人の退職の件に関してどう思うか? と感想を求めてきた。おおよそこちらの腹を探りつつ、最終的に同意させたいとでも思ったのだろう。そこで俺は、

「会社側が職務規定違反と判断したのであればそれで良いのではないでしょうか?」

あっさりとそう言い放ってみせる。すると常務は、

「そ、そう思いますか?」

と拍子抜けしたようだったが、すぐに明るい声で、そうですよねと取り繕った。

警察からの電話

「ところで…」

一瞬和やかな空気が流れたところで、俺は切り返す。

「ところで…もうひとつ気になったことがあるんです。これまでお世話になった会社ですし、お伝えした方が良いかなと思いまして」

「何についてですか?」

「先日退職したA主任からちょっと相談されまして。あの…所轄から連絡があった件はご存じですか?」

「はいはい。佐藤主任から聞いていますよ。何だかスロットのBモノ(=裏モノ)の件とか?」

そうそう、それだよ。まあな、警察の保安課を装って店に電話し、佐藤と話をしていたのは俺なんだけどな。案外バレないもんだな。


「そうなんです。何だか取り締まりを一斉に始めるみたいで、どんな機種が設置されているかを聞いてきたらしいんです。実際に自分の友人のホールにも警察が抜き打ちで来たようで、それがちょっと気にかかっていたものですから…」

全て口から出まかせである。俺は続けた。

「A主任がですね、佐藤主任からその話を聞いて、店に置いてある台のことが気にかかって点検をしたらしいんですよ。そうしたらリノのほとんどの台の基板のロムに封印シールが付いてなかったと…」


この機械は初期から連チャン仕様として細工がなされていた、いわゆる"裏モノ"なのだが、当時はどこのホールでも設置されていた。今振り返ると、当たり前のように裏モノが置かれているなどということは信じられないことだが、ホール側だけでなくプレイヤーもそれを求めていたため、違和感を感じていなかったのである。

ちなみに、代表的な改造事例としてRAM注射と言われるものがある。ある手順を踏めば改造したプログラムは残るのだが、それ以外であればそれらは跡形もなく消えてしまう。そのため、警察が検査に入ってもなかなか発見されなかったのだ。しかし封印シールがないとなれば、そんな裏ワザはもはや意味を持たない。

その他の改造事例でいえば、『ゲタ』と言われるものもあった。正規のROMの下に基板を仕込むため、下駄を履かせたようなところからそう名付けられたのだろう。


自店ではROMを改造したものを使っていたのだが、俺の懸念を聞いた常務の口ぶりは豹変した。

「それが一体どうしたと言うんですか!」

さっそく網にかかったようである。不思議と、相手が焦るほどにこちらは落ち着くものだ。


「実はですね、A主任は店に置いてあるリノが裏モノだなんて知らなかったらしいんですよ。それにはさすがに自分もびっくりしたんですが…それはともかくですね、ひどく興奮していて、今まで自分は犯罪の片棒を担がされてきたのか! みたいなことまで言い出しまして…。信じていた会社からこんな形でクビにされ、その上、騙されていたなんて許せないと。どうしても納得がいかないから警察に行って洗いざらいブチまけてやるってことになってしまいまして。面倒なことに横で聞いていたB主任も煽られて一緒に警察に行くと言って聞かないんですよ…」

当然、主任2人がBモノの存在を知らなかったなんてことはない。むしろ彼らはBモノ好きで、暇さえあれば他の店のリノを打ちに行っていたくらいだ。


ここで常務は例の甲高い声のギアを一つ上げてきた。

「退職しても秘守義務というのが発生してきます。退職届にその事が記載されていて、彼らも捺印してますよ!」

何を言い出すのかと思えば…。この期に及んでめでたい奴だ。

「まぁそうですよね。しかしですね、常務。退職した会社の秘守義務を守るのと、在職していた会社の犯罪行為をリークするのと、どちらが褒められる行為かというと…ちょっと難しいところだと思うんですよね」

「…」

常務は何を考えているのだろう。沈黙が漂う中、俺は助け舟を出す。

「俺は彼らに言っておきました。取りあえず、俺が今日、常務に用事があるからその時に相談してみる。だからちょっと冷静になれ。とりあえず1日待ってくれと。2人は全然納得した感じではなかったですが、その場は収めてくれました。でもここで裏切ったら、彼らはまず間違いなく所轄に駆け込むと思います」

そう言うと常務は声を荒げて話してきた。

「一体どうしろと言うんですか!?」

「そうですね…やっぱり今回の会社の仕打ちが大きいと思うんです。そもそもの原因は私にあるわけですから、それを理由に辞めさせられた上に退職金も出ないとなると…やはり怒りが収まらないでしょう。もし退職止む無しということになっても、懲戒というのはさすがに厳しいんじゃないでしょうか? ここは彼らの貢献を正当に評価してですね、せめて規定の退職金を支払ってあげれば丸く収まると思うんですが…」

常務は黙り込んでしまったが俺は構わず話を続ける。ここで畳み掛けていかなければならない。

「ところで、雇用契約書に話が戻って申し訳ないんですが、ちょっと気になることがありまして。もともと第13号というのはなかったように思うんです」

「いや、ありましたよ。初めから記載されています」

「そうですか…。雇用契約書というのは会社側と労働者側が各1枚ずつ保持しているのはもちろんご承知だと思うんですが、先日部屋の片付けをしていましたら私の雇用契約書が見つかりまして。内容を突き合わせてみたんですが、なぜか内容が違っていたんです」

「そんなことは知りません。確かに第13号はありました」

あくまでシラを切るようだ。まぁ認めるわけにもいかないだろうが…。

「となると、常務の知らないところで誰かが雇用契約者を書き変えたのかもしれないですね…。であれば、明日、手元にある2通の雇用契約書を持って労働基準監督署に行って相談しようと思ってます。申し訳ないんですが、懲戒の件については、その後、改めてご相談させてもらえませんでしょうか」

「…」

「それから、この書類が誰かの手によって偽造されたものだとしても、それによって権利を行使した場合には有印文書偽造行為っていうんですかね、おそらく会社が罪に問われる事態になってしまうと思います。もし間違いであれば良いんですが、そのあたりもご確認いただければと思います」

「…」

「今まで大変お世話になりました。お手間を取らせてしまって申し訳ありませんでした。それではこれで失礼し…」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

沈黙を守っていた常務がとうとう餌に喰いついたようである。

「ちょっと待ってください。その件については、こちらでも調べてみないと分かりませんから1日だけ待ってください」

常務の言葉には、いつものように人を威圧するような様子は感じられない。俺は明るく分かりましたと応え、静かに受話器を置いた。

退職金の入金と幕切れ

翌日の夕方、B主任から電話がかかってきた。なんと2人とも退職金が口座に振り込まれたという。彼らは何度も感謝の言葉を口にしていたが、俺は褒められるようなことをしたわけではない。ただ、奪われたものを卑劣な手段で取り返しただけに過ぎない。とても晴れやかな気分とは言えなかった。

さらに、その翌日。俺の口座にも退職金が入金されていた。これもまた決して後味が良いものではないが、俺には一つのけじめと考えるようにした。

ここで、呆気ないほどの幕切れを迎えた。