■第14話:幕切 常務編
退職してもまだやるか!

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遂に退職日の朝を迎えてしまった。通勤電車に揺られていると、自然とこれまでの仕事が思い出された。

入社当時、それ以前はパチンコ生活者だったが、通っていたホール店員の仕事ぶりを見る限りはそれほど大変でもなさそうだし、仕事もすぐに覚えられるだろうと高を括っていた。ところがそんな甘い考えが一瞬で吹き飛ぶほどの重労働を課せられ、連日、文字通り足が棒になるほどに働かされた。


その時の仕事の過酷さは今思い返してみても尋常なものではなかったが、それなりに充実はしていた。そう思えたのは、やはり釘師になりたいという執着があったからだろう。文字で書くと青臭くなってしまうが、やはり夢があればこそ。そこへ至るには茨の道もあるだろうし、もちろん下積みも必要だろう。

そして店長に抜擢されてからも、体力的な過酷さという意味では緩和されていったが、仕事上の悩みが尽きることはなかった。上手くいかない人間関係、そして多方面からの様々なプレッシャー…。束の間でもそれらを忘れ去るため、さらに日々の業務に埋もれていった。


そんな中、ようやく自店にチャンスが回って来たのだ。営業に対しても強い熱意を持ち、釘調整に関する勉強はもちろんのこと、若手の育成にも力を入れ始め、様々な面において成長の土台を固めつつあった。そしてそれがじんわりと効いて状況が好転し始めているという感触もあった。

しかしそんな順風に見える時にこそ大きな落とし穴が大きな口を開けているものなのかもしれない。以前からぶつかり合っていた常務と折り合いが取れず、遂には袂を分かつことになる。納得のできないこともあるし、そんなことでここを去ることに悔しい気持ちも強い。

しかし俺はここで多くのことを学び、他では経験できないようなことにも向き合えた。それはパチンコ生活者だった俺を拾ってくれた部長との出会いから始まったと言えるが、ここまでの色々な人との出会い全てが俺を育ててくれた。プラス面もマイナスな面も、それらすべてに心から感謝したい。

「退職願は頂きました。しかし私は承認していません」

最寄駅で電車を降りる。そして少し歩き、店の前に立った時にはもう心は落ち着いていた。いよいよ今日が最終日。後悔のないように最後まで楽しもうと誓い、通用口の扉を開ける。

しかし、自分にとっては退職日だが、他の人間にとっては何の変哲もない普通の日である。社員たちは俺を気遣ってか、何だかよそよそしい感じであった。そんな様子に耐えられないわけでもないが、適度に事務所を出て店内の様子を見てみることに。

わずか1ヶ月足らずで稼働はすっかり落ち込んでいる。新装開店を迎える前よりも状況が酷くなっているのは誰の目にも明らかだ。

「俺のやってきたことは正しかったのだろうか?」

そんな問いに答えてくれる人などどこにもいないのだが、そう考えざるを得なかった。


夕方を過ぎたあたりでふいに常務がやって来た。普段であれば夜に顔を出すので、これは珍しいことである。俺は最終日のあいさつをしようと常務の元へ向かった。

「長い間大変お世話になりました。本日が最後の出勤日になります」

労いの言葉などを期待していたわけではないが、常務のまさかの返答には驚きを隠せなかった。

「私は何も聞いてませんけど?」

常務はこちらを見ようともしない。営業データに視線を落としたまま面倒臭そうにそう言い放ったのだ。


ここまで色々あったが、さすがにこの期に及んでまで言い争うつもりはないし、最後くらいはすっきりと終わらせたい。俺は一呼吸を置き、冷静に話をすることにした。

「先日から何度もお話をさせて貰いましたし、現に退職願もお渡ししています」

すると常務は引き出しを開けると封筒を掴んだ。それは間違いなく私の書いた退職願だった。


その退職願をポーンと机の上に放り投げると、今度は一転、突き刺すような視線を自分に向けてくる。

「退職願は頂きました。しかし私は承認していません。自分の仕事の後任を置いて、きちんとした形で辞めるのが筋なんじゃないですか?」

この会話だけ切り取ればもっともらしい発言になってしまうが、退職当日という土壇場も土壇場でのそれは言いがかりでしかないだろう。

それにいま俺が辞めたからといって、明日から店が開かなくなるわけではない。俺を信じて一緒に頑張ってくれたスタッフは、釘調整こそできないが、それ以外の開店や閉店、入替やシフト作成に売上計上などに関する業務は一通りできるように仕込んである。俺はその旨を伝え、メモ帳を取り出す。そして業務の引き継ぎ項目とその担当スタッフの名前を記入して常務に渡した。


しばらく沈黙が続いたが、常務もさすがに観念したのだろう。「それじゃあ本当に辞めるということで良いのですね?」と、俺の方を見ず、つまらなそうに言葉を揃えている。

この人は何を言いたいのだ? 一体俺にどうして貰いたいのだ? まさか俺に続けて欲しいとでも言うのだろうか? いずれにせよ、何を言われようと俺の気持ちが変わることはない。

「今まで大変お世話になりました。有り難うございました」

俺は静かに常務の元を立ち去った。


しかし…それにしても奇妙な問いであった。その後で俺はホールに戻ったのだが、最後の奇妙な問いがひっかかってならない。

「それじゃあ本当に辞めるということで良いのですね?」

今まで聞いたことのないほど耳に刺さる声の高さだったから印象に残っただけなのだろうか? それとも自分が感傷的になっているせいだろうか。自分が引き留められたと思って喜んでいる部分があるのだろうか…。まぁ今となってはそんなことはどうでもよいことだろう。そう思い直し、最後の業務に励んだ。

完っ全っにアっタマキタっ!!

無事にホールの営業を終えると、遅番の社員たちが、こんな辞め方をする俺の送別会を開いてくれるという。しかし俺はこれから常務が来るのを待たなければならない。何時に帰れるかも分からないし、そもそも送別会を開いてもらえるような立場でもない。残ってくれた数人の社員に、送別会には出られないということ、そして今までの感謝の気持ちを告げ、連絡先のやり取りをして全員を見送った。

すると店内には自分以外、誰もいなくなった。しばらく一人で何も考えずにボーっとしていると、そこへいつものように常務がやって来た。

「お疲れ様です」

挨拶をする俺の前を足早に横切ってデータを手に取り、相も変わらず黒字で埋め尽くされたデータを見ながらため息をつく。それもそうだろう。単に黒字というだけで話は済まない。稼働が激減しているのだ。


データを見ながら何かボソボソと独りごちたかと思うと、今度は俺の方に向き直り話しかけてきた。

「そもそも何でこんなに稼働が下がるのですか? 釘を開けても全然出ないし、客も戻って来ないじゃないですか。最近は私が釘を見ていますが、元々はアタマキタさんが調整されていましたよね? 最初のあなたのゲージ作りが悪くて、それが客を飛ばした原因なんじゃないですか?」

何を言い出すかと思えば…こいつはマジでクソだぜ。

ゲージ作りとは、普段のスタートチャッカーの開け閉めではなく、新台が導入された当初に玉の道筋を決定するもの。これはベース作りとも言われ、メイクでいうところの下地作りのようなものだと思ってもらいたい。これがうまく行かないと、スタートチャッカーの開け閉めだけでは安定した釘調整ができなくなるのだ。


それにしても今さらそんなことを言い立てるとは…完っ全っにアっタマキタっ!!

「俺が調整していた時は、出そうと思えば玉も出ていましたし、お客様も増えていました。そもそも利益が出せれば釘とかそんなのはどうでもいいんだと言ったのは常務ですよね? そんなに人が信用できないなら、これから全部自分でやりゃあ良いじゃないですか!」

俺が一気にまくしたてると、常務は驚いたような顔でこちらを見た。そうかと思えばそのままホールから出て行ってしまったのだが。


それから小一時間ぐらい経ったろうか。常務が戻ってくるかもしれないのでホールで待っていたのだが、さすがに痺れを切らして自分の方から常務を探すことにした。今日が最後なのだ、こっちが折れておこう。しかし色々探した挙句、駐車場を覗いてみたのだが、そこに常務の車はなかった。とっくに帰ってしまっていたのだ。

「ふっ。ここで働いてきた集大成がこのザマか…」