■第13話:退職 常務編
看破できなければサヨナラ。常務に仕掛けた騙し釘

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「しっかりと利益が取れていれば釘なんてどうでもいいんです。現にこうやって今日はちゃんと儲かったじゃないですか? あなたは私の言うようにやればいいんですよ!」

これは強烈な意志表明であった。これまで常務とは色々な場面で衝突してきたが、どこの組織でも対立が一切ないということはあり得ないし、立場上自分が折れなければならない場面があることはもちろん理解している。だからこれまでも、おかしな言動があっても良い店づくりのためと我慢しながら折り合いをつけてきたつもりだ。

しかし…。

常務は一線を越えてしまった。冒頭の発言は、パチンコ店の経営者としては絶対に口にしてはならないものだと信じている。ましてやその発言が釘師に向けられたものであるのならば、言うまでもなく…それは俺の存在の否定でしかない。


常務にとっては調整の機微というものに存在価値を認めておらず、釘調整など単なる作業としか認識していないのだろう。深夜から朝方まで文句も言わずに機械的に釘を叩ければ誰でも良かったのかもしれない。少なくとも俺はそう受け取った。そんな屈辱の只中、どうにか声を絞り出す。

「自分の勝手な感情で色々と意見してすみませんでした。常務のおっしゃる通り、明日からはしっかりと利益が取れるように釘を閉めます」

この言葉を口に出した瞬間、俺にできることはもう何もないんだな、そう思った。

退職届を提出しよう

閉店業務が終わり、店内に一人になった。店の中心のセンター通路に立つと様々な感情が込み上げてくる。

俺はここで戦ってきた。ここには希望があると思って働いてきた。しかしそれは幻想だったのだ。それを認めてしまった途端、出てくる涙を抑えきれなかった。

常務に自分自身が否定されたことが悔しかったわけではない。ボッタクリだ何だとスタッフにケチをつけながらもこんな三番手の店に昔から通って頂いている常連様、そして自分のような未熟な新米釘師に一生懸命について来てくれたスタッフ達が頭に浮かぶのだ。そしてそんな皆の気持ちを受け止めきれずに一歩も進めなくなった自分がただただ情けなかった。


パチンコ店というのは、オーナーの人間的な"器"を超える箱を実現するのは不可能である。残念ながら、それは今も昔も変わらない真理だ。

パチンコを楽しんでもらった対価としてお客様から運営費を頂くという考え方ではなく、客からただ銭を奪うことしか考えていないオーナーの店では、足しげく通って下さるお客様も、そしてそこで働くスタッフも報われない。だからこそ…俺は覚悟を決めなければならないと思った。


涙を拭くと、気付けば俺はハンマーを握りしめていた。左手には曲げ棒と言われる道具を持ち、1台1台丁寧に釘に細工を施していく。スタート入賞口の2本の釘の先端を、僅かに外側に湾曲させていったのだ。

釘の先端から根元までは通常はまっすぐだが、釘先を『曲げ棒』という釘起こしのような道具を使い少しずつ外側へ湾曲させていくと、釘の根元は閉まったままながら先端部分だけが開いたような仕上がりになるのだ。

これは騙し釘という手法である。あたかも釘が開いているように見えるのだが、実際には入賞しづらい仕様となっている。

これは非常に手間が掛かる作業であること、そして曲げ過ぎれば一発でバレてしまうということで、当時はこのテクニックを使う人は少なかった。しかし俺はこの日、朝方までかかりっきりで全台を騙し釘へと変えていく。

その作業を終えると、もはや何のためらいも心残りもなかった。「退職届を提出しよう」。


閉店後、順調に利益が上がったデータを見て常務はご機嫌だった。そこに俺は近付き、ポケットにしまっていた退職届を手渡した。

理由は何だと聞かれたのだが、俺にはこの人と向き合おうという考えがもうなかったため、口から出まかせを言っていた。

「自分の叔父がカリフォルニアでオレンジの農園をやっています。前々からアメリカで暮らしてみないかと誘われていたんですが、いい機会なのでチャレンジしてみることにしました」

常務は口をしばらくポカーンと開けていたが、「分かりました」と言ったのみで、俺を引きとめることはなかった。これにより3週間後の退職が確定する。


それから俺は、自分の側近のスタッフを集めて現状を話した。3週間後に退職するという事実はもちろんだが、何よりもここで仕事を続けていけなくなった理由を話し、最終的にはとにかく謝罪をするしかなかった。結果としてはお客様もスタッフも見捨てることになるのだから…。

しかしみんなは、俺と常務とのやり取りを見ていて、いつしかこんな日が来るのではないかと予見していたと言うのだ。だから俺に対して恨みもないし、もしも違う店に行くというなら一緒について行きたいと言ってくれる者もいたくらいだった。

そう言われて正直嬉しい気持ちもあったが、他人の人生に責任を負えるほど自分が大そうな人間でないことぐらいは痛いほど自覚している。だから一人でこの店を去ろうと決めている。みんなの優しさは自分の無力さに追い打ちをかけるだけだった。しかしこれが現実である。一時の甘い感情に酔っている場合ではないのだ。
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