■第10話:新装 常務編
オカルトはいい。ただ数字は譲れない

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トラブルを抱えつつも何とかそれを乗り越え、そしてまた新たな壁にブチ当たる…そんな生活も3年目に突入していた。入社したての頃、上司から「パチンコ店で1年続いたら、普通の会社で3年やってるのと変わらないよ」なんてことをよく言われたものだが、確かにそれくらい濃密な時間だったと思う。

店長になってからというもの、自己流ではあったが必死に毎日毎日釘調整をこなし、その点では充実していた。しかしそれだけでは責任を全うしているとは言えず、店のオペレーションやらスタッフの問題解決なども同時にこなしていかなければならない。

まぁ曲がりなりにもそこまでは対処できていた(…と思う)が、さらに「どうすれば集客できるか?」というホール運営における最重要課題に本気で向き合わなければならない状況に直面していた。


この街のホールは典型的なローカル線の駅前店舗型で、自店も含め3店舗ほどが近隣でせめぎ合っている。駅から一番の好立地である競合店Aは、ワンフロアで500台超えの大型店舗で(当時としてはかなりのものである)、ハイスペックのパチンコ機をメインに鉄火場のような雰囲気を醸し出している。

そしてそのA店と向かい合わせにあるのがB店で、1階と地下の2フロアで約450台、A店に次ぐ大型店である。ここは地下フロアのスロットがメインで、いわゆるBモノ(連チャン機)の客付きが異常であった。

そこに加えて俺が店長を勤めていたホールで3店舗なのだが、A店とB店が対抗意識丸出しで強気な営業を行なっていることで、ほとんどの客は駅前のどちらかのホールに吸い込まれてしまう。そのため、そこから2分ほど離れた場所にある自店にまで足を運んでくれるお客様は非常に少なくなっており、自他ともに認める万年負け組となっていた。地域3番手と言えば聞こえは悪くはないが、上位2店舗の稼働率には遠く及ばず、常に苦しい状況が続いている…というのが本当のところである。

まあそれもそのはずで、他店舗と比較すれば立地も悪く、さらに台数も半分以下の200台程度。おまけに店もボロボロとくれば、さしたる特徴のない自店に足を運んでもらえるわけもない。そのあたりの原因は明確すぎるくらいに明確であった。

起死回生の新台入替

そんな厳しい状況ではあったが、俺はこの競合2店舗に喰らい付く機会を常に狙っていたし、その方策を日々の営業の中で絶え間なく考えていた。そんな時、1つのチャンスが巡ってくる。

それは、『新台入替』である。昔からパチンコを打っている人であれば納得してもらえると思うが、当時のそれは現在行なわれているものとは一線を画す一大イベントであった。

もともとの新装開店というのは現在のスタイルとは全く違っていて、文字通り"お祭り騒ぎ"である。そしてお祭りゆえに年がら年中あるものでもなく、年間でわずか1~2回程度。それゆえに入替台数も大量で、店舗の総設置台数の半分をそっくり入替えてしまうなんてことも当たり前のように行なわれていた。


ところで、台数が多いということは当然ながらそれに比例して作業が増すわけだが、その大変さは…なかなかのものであった。入替前ともなると、その作業から逃れるために社員が辞めていくなんてことが普通に起こるくらいに苛烈である。実際俺も入社直後、100台近いパチンコ台を店舗の1階から3階の倉庫に運搬するという作業を1人でやらされたことがあったが、あれは本当にキツかった。

まぁそんな裏の話はともかく、それくらい準備と気合を入れて騒ぎ倒すのが当時の新台入替であり、お店も当たり前のように赤字を大量に垂れ流す覚悟を持っていた。お客もそのことを知っているため並びの数も半端ではない。それゆえにトラブルもあったりするわけだが…ある意味、良い時代だったのだと思う。


ちなみに、当時は、「新台を我先に導入する」という今ではすっかり慣例となっている手法は執られていない。基本的には他店に導入された台を見に行き、その状況をつぶさに観察してから機械を注文するというスタイルが普通だった。

現在の新台入替とはだいぶ趣が違っているが、そのため導入機種が横並びということはあまりなく、むしろ店の個性を強く出すためにラインナップが被らないように調整するという意識もあったのだ。もちろん押さえるべき鉄板的な機種もあるにはあるのだが…。