パチンコ業界に飛び込んで1年が経過しようとしていた。これらの日々は、プロ時代に傍から見ていた店員の仕事と実際のパチンコ店の仕事とはこうも違うのかと痛感させられることの連続であった。そしてそれは立場が変わることでさらに複雑に分岐していく。
一般社員として働いている時は機械を運んだり玉を運んだりということが多い。これは外からでも十分に想像ができた仕事内容であったが、予想以上に肉体的な疲労が激しかったことには正直驚いた。しかし体を動かしたりお客さんと無邪気にコミュニケーションをとったりすることで、辛い部分も多かったのだがどこか清々しくもあった。
ところが立場が変わって役職ともなれば、店のオペレーションからマネージメント、金銭の管理はもちろん社員の管理まですべてやらなければならなくなる。こうなると肉体的な疲労からは若干解放されるものの、それを補ってあまりあるほどの精神的疲労が襲いかかってくる。
ただでさえやること、覚えることが多いのだが、そんな中でも最も大事な顧客である遊技客とのやり取りは疎かにはできないため、本気でやればここまででもうパンパン。それなのに、こちらの都合などお構いなしに、人間関係のもつれという地雷があちこちで爆発してしまう。こうなるとお手上げである。
ここまで書いてきたように、この店に赴任してから数々の有難くもない経験をさせていただいたのだが、しかし主任の佐藤を放逐することには成功した。遂に平穏が訪れる。これでやっと本業一本で真摯に仕事に打ち込める。
そう思っていたし、そうなるはずだった。しかし突如として次なる難敵が現れるのである。自分でも首をひねるのだが、普通に仕事をしていてこうも次々とトラブルが起こるものなのだろうか? まぁそれが分かるのはもう少し後になってからであるが。
新たな上司
その日、朝から次回の入替作業の段取りに追われていた。事務所と現場を行ったり来たりで、ようやくひと段落ついた頃だろうか、女社長から内線が入る。話したいことがあるから時間が空いたら社長室まで来て欲しいということだった。音声を伝えることをやめてしまった無機質な受話器がだらしなくコードを巻きつかせている。
社長の話が何なのかは知る由もないが、大体においてかしこまった口調で呼び出されるとロクなことが起こらないというのは、もはやこの会社における鉄則である。嫌な予感しかしなかったが、手短に一通りの仕事を片づけた俺は社長室へと向かった。
部屋に着くとすでに社長室の扉が開いていた。女社長の声に促されて中へ入ると、こう告げられたのだ。
「常務が今日の夕方の飛行機で韓国から帰国されました。明日からまた現場に出ますのでよろしくお願いしますね」
常務? 韓国? 帰国? 何のことだ? 俺はさっぱり要領を得なかった。
「社長すみません。常務…ですか? 私はお会いしたことがないのですが」
女社長はこの言葉に少々戸惑っているようである。そして、
「そう言えばアタマキタさんは常務とはちょうど入れ替わりだったものね…」
そう言って黙り込んでしまった。俺の頭の中は疑問符だらけではあったが、女社長からはそれ以上の話もなさそうだったので、軽く会釈をして現場に戻ることにした。
一難去ってまた一難
「常務か…」
まあこんな時は、いつも頼りにしている入社時からずっと世話になっている主任に聞けば良いかと思い、遅番が終わる時間を見計らって電話をかけてみた。
最近では主任との接点がなくなっていたが、電話をしてみると、何だか古い友人にでも話しかけるかのような優しい声で俺に悪態をついてきた。
「アタマキタさん。最近は偉くなっちゃって、こちらにはなかなか来られなくなりましたね。今度飯でもおごって下さいよ~」
電話口から懐かしい笑い声がこぼれてきた。知らない者からすれば馬鹿にしているようにも感じられるが、これが主任流の俺への礼儀の払い方なのだ。
「いやいや気が利かなくてすみません。飯がご希望であれば、佐藤のごはんを段ボールでごっそりと送りつけますよ!」
そんな俺の言葉に相変わらずの主任は電話口でケタケタと笑っていたが、主任は何かを察したのか、「用件は何だ?」と真面目な聞きぶりに変わった。俺は早速、女社長が話していた常務について聞いてみることにした。
「こっちにも社長から電話があったよ。何だか結婚して奥さん連れてくるみたいだな。常務は…」
一瞬主任は言いよどんだが、こう続けた。
「常務は結構気難しいからお前とは合わないかもな。色々とこだわりが強くて面倒なところが多いから。そのせいで一時期、店長連中がどんどん辞めていったんだよ。結婚して少しは人間が丸くなっていれば良いけど…」
そしてまた軽く馬鹿話をしてから電話を切った。最後に主任が漏らした「少しは人間が丸くなっていれば良いけど…」のひと言で大体のことは悟ったが、それでも明日から赴任するまだ見ぬ常務の存在に言い知れぬ不安を感じざるを得なかった。