飲み屋を出た俺と佐藤主任は終始無言のまま歩いた。奴のろくでもない頭の中でどんな想像がうごめいていたかは知る由もないが、俺はひたすら先を歩き、佐藤は乗ってきたママチャリを引きずりながらついてきた。
ちょうど川べりに差しかかった時、この緊張に抗しきれなかったのだろう、むこうから口を開いてきた。
「これは一体何のつもりですか? いい加減にしくださいよ!」
いい加減にしてくれだ? 俺は今までこいつの言動に対しひたすら我慢してやってきた。それが事ここに至り『いい加減にしろ』と言われている。
アッタマキタ…
アタマキタ!!!
人生において、心の底から、そして震えるほどに怒ることなんてわずかしかないだろう。でも俺はこの瞬間、アタマキタのである。限界を突破してしまった。制御できないほどに。
「キサマ…こら! 自分のやったことが分かってて俺にしゃべってんのか!!!」
ほどなくして鈍い音が地面に吸収された。精神が暴走をきたしていた俺は、怒りに憑かれるままに奴の自転車を力まかせに土手に放り投げていた。
「てめぇー! 店のカードをチケット屋に売りつけやがったな!」
サングラスの奥の目が震えている。こいつの腐った精神を叩きのめしたいという欲望が俺に纏わりついて離れない。
「このクズがっ! しかも元バイトまで使って山瀬をハメやがって! てめぇだけは…この場でぶっ殺してやる!」
確かに山瀬の非は大きかった。しかし、だからといって姑息な手を使って仲間を陥れて良いはずがない。しかも佐藤が山瀬を狙ったのは俺が可愛がっていたというくらいの理由しかなく、俺に嫌がらせをするためだけに後輩の運命を変えてしまったのだ。それがどうしても許せなかった。
俺は怒りが収まらず、その辺に落ちている棒っ切れを掴んで奴に迫った。そんな枝で人を殺めることなどできないし何の脅しにもならない。今その姿を想像するとギャグとしか思えないし恥ずかしくなる。しかし人間というのは追い詰められるととっさの判断が狂うものなのだろう。それはその時に奴の口からついて出た言葉が証明している。
「すみません…。自分がすべてやりました。ごめんなさい」
ここまであっさり陥落したことに俺は拍子抜けしてしまった。あれほどまで悩んだことが、あんなに自分を鬱々とさせたことが…単なる棒切れを掴んだことで解決してしまった。
しかし謝罪など今となっては何の意味もなさない。当然そんな表面的なものでこの怒りを鎮めることはできず、辛うじて一線を越えずに踏みとどまっている状態であった。俺は土手に投げ捨てた自転車に駆け寄り、これを再び持ち上げ、再び放り投げた。こうすることで沸々と湧き上がる怒りに折り合いをつけていたのだと思う。
永遠に俺の前から消え失せろ!
俺は深く息をして奴の憎たらしい顔を凝視し、そして厳命した。
「明日…もし明日退職願を出さなければ、俺はすべてをぶちまける。そうすればお前はたちまち犯罪者だ。今となってはもうどちらでも良い、辞めようが犯罪者のレッテルを貼られたまま醜い姿をさらそうが。どちらかを自分で選べ」
すると奴は観念したのか、力なく口上を述べた。
「申し訳ございません。本日をもって退職させて頂きます…」
これを聞いた俺は冷静さを取り戻していったが、これ以上1秒たりとも顔を突き合わせることは我慢ならなかったため、「永遠に俺の前から消え失せろ」と告げ関係を断った。
決してこれで気が晴れるわけではないのだが、一つのけじめを取った気持ちではいる。奴の後ろ姿が視界から消えた後、俺は誰もいない土手で少しだけ考え事をしてから家路へとついた。
1カートンのマイルドセブンの意味
翌日、昼過ぎだったろうか、挨拶をしてから仕事に出ようと事務所に寄ってみると、自分の机の上にある物が置かれているのに気が付いた。それは…
…
…
…
それは…やつの退職願ではなく、1カートンのマイルドセブンだった。その横には手紙が添えてあり、差出人は佐藤主任。手紙にはこう書いてあった。