毎日真摯に仕事に向き合ってきたせいか、俺はそれなりに責任のある仕事を任せられるようになっていた。もちろん細々とした問題は日々起こるものの、比較的順調で平穏な生活を手に入れたと言って良いだろう。しかし、新たな辞令が、またもや俺を混迷の渦の中に叩きこむことになるのである…。
俺は副店長として新しい店舗に配属されることになった。もちろん、その単純な異動ならば何ら問題はないのだが、それだけで済まないのがこの会社のダメなところ。
女社長から辞令とともに伝えられた特命が、「異動先の店長に問題があるから、その尻尾を掴んでクビに追い込んで欲しい」っていうんだから絶句である。小説でこんな話を書いたら作為的すぎて馬鹿にされるんじゃないかと思うが、「人生は小説より奇なり」とは、まさにこういうことなのだろう。
副店長になりたての人間にそんな仕事をさせるなんて…と呆れはしたものの、俺も多少組織に馴染んだということなのだろうか、どうすれば上手く片付けられるのかと思案を巡らせる自分がいた。しかし結局どこから手をつければ良いのか皆目見当がつかなかったため、まずは通常の業務をしっかり確立させることだなと、シンプルな解答に至る。
しかし異動初日で急転直下。これもまた小説より奇なりというところだろうが、挨拶のために事務所に入るなり、例の店長から衝撃的な歓迎を受けてしまう。
「俺たちもう辞めるから、今日1日で仕事を覚えてな」
そう言い残し、店長一派と言われていたその店の主任2人と班長1人、さらにカウンターの女性スタッフまでもがその日で退職するという。またも絶句。何なんだコイツらは? アホなのか?
とはいえ、これが嫌がらせだとするならば大成功だろう。あとに残された側のしんどさたるや半端ではない。これはもはやテロにあったとしか言いようがないほどの理不尽さである。
当然だがこれでは仕事にならないためすぐにオーナーに相談したのだが、人を回す余裕がないということですべて自分がやるハメに…。これはとてつもない試練だった。
まず、主任や班長がいないということは両替機の鍵を持っている人間が自分以外にいないということを意味する。つまり…四六時中ホールを離れられないことが確定。営業中の13時間、常にホールにいなければならないのだ。これは、ちょっと前に問題になった"ワンオペ"みたいなものだろう。
そんな過酷な状況であるにも関わらず、その当時はホールスタッフの休憩所などはなかったため、眠くなってもひどく疲れても横になる場所などはない。もちろん食事のために外に出る余裕などないため、人数調査のために店外に行くスタッフに頼んでマックのハンバーガーを買ってきてもらうというのが基本。
さらにゆっくり飯を食うなんて夢のまた夢で、それはカウンターの中に隠れて素早く胃に流し込む作業でしかなかった。その後遺症か分からんが、その境遇から這い出た後、マックのハンバーガーは食べようと思わないし見たくもない。
それだけではない。トイレに行くのも気が引けてしまう。汚い話で恐縮だが、もし大をしている間に両替機が詰まったらお客を待たせてしまうからだ。お客様に迷惑をかけてしまうかもしれないということは自分にとって大きな恐怖である。
そんな恐怖と苦痛と屈辱と疲労を日々蓄積させながら毎日の仕事に明け暮れていた。営業中の業務は13時間ぶっ続け、さらにその前後には開店前と閉店後の業務だってあるのだ。朝の8時から夜中の3時までずっと仕事に拘束され続け、気付けば俺は3カ月ほどそこで"暮らし"ていた。つまり、その間、一瞬たりとも家に戻っていないのだ。
そんな俺を見かねたのだろう、ようやく女社長から助け舟が入る。チェーン店から主任を一人連れてくるということだった。まぁ誰が手伝いに来てくれるのかは分からないが、それが誰であれ仕事が増すことはない。これで多少は楽になるだろうと心底救われる思いだった。
待望の新メンバー登場?
メンバーが増えるという待望の日、事務所で待っていると、社長とともに現れたのは、俺より年齢が2回りは上であろう酒焼けしたオッサンだった。
見てくれはずんぐりむっくりとした体形で、眼鏡だかサングラスだかいまいち分からんものをかけていて、どう見ても善良なる一般市民には見えない。生理的に苦手なイメージを持たれやすいタイプとでも言おうか、まぁ…これは個人的な感覚で申し訳ないのだが、正直言って、身の毛のよだつ思いがした。
この男は佐藤という名前で、前のホールでの役職は主任とのこと。この会社に入社して10年を超えるベテランなのだが、以前この店で働いていてこの店の実状に詳しいという理由で指名されたようだった。
佐藤は女社長から紹介されると、
「副店長様の教えを大切にし、ともに店を盛り上げていきたいと思いますのでよろしくお願いします!」
と、下心のありそうな笑顔を作りながら手を差し出してきた。俺は気持ち悪いなぁ〜と思いつつも大人の対応で握手をしたわけだが、どうも力の入れ方が必要以上、つまり過剰であり尋常でない。
「なるほどね。そういうつもりなのね…」
瞬時にそう感じたがひとまずここはやりすごし、オーナーを見送った後で主任と話をすることにした。
「アタマキタと言います。佐藤主任は以前こちらで働いていたと聞きました。自分もまだまだ分からないことがたくさんあります。協力し合ってよい店を作りましょう」
そう言って目の前に座っている佐藤主任を見やると、何やら眉間にしわを寄せてこちらを睨んでいる。何かマズいことでも言ったか? と思ったが、親切にもヤツは俺にその答えを包み隠さず教えてくれた。
「お前! 副店長だか何だか知らねぇけどよ、勘違いすんなよ。この会社では俺はお前の先輩で、この店だって俺の方が詳しいんだよ!」