芸能界の裏表、そしてギャンブルの酸いも甘いも知る坂上さんならではの金言・珍言が迷えるギャンブラーを救う!
●お悩み[1]
「私の金銭感覚っておかしいですか?」
パチンコや競馬には万札をどんどん突っ込むのに、食べ物を買う時は値下げ品で済ませているので、友達から「ギャンブルをやめればもっといい物が食えるだろ! 」と言われます。でも、違うんです。ギャンブルは少しでも大きなお金を突っ込まないと楽しめませんが、食べ物は値下げ品でもそれほど味が変わらないので平気なんです。こんな金銭感覚はおかしいですか?
(30代・男性)
全然おかしくないです。金銭感覚は人それぞれなので、おかしいと感じるのはその人の価値観でしかありません。むしろ友達を選び直した方がいいのではないでしょうか。
たとえば、食にこだわる人は回転寿司よりも職人が握るお寿司屋さんに行きますよね。でも、そういうところに行くためには何かを我慢してそれなりにお金を貯める必要があるはず。そうやってバランスをとっているんです。
何でもパランスが大切。ギャンブルに多くのお金を使っても、借金はせず、食べ物で出費を抑えてバランスをとっているのであれば、まっとうな人だと思いますよ。
持論を言えば、ギャンブルとは金額の多い少ないではありません。たとえ数千円であっても、その人にとって「このお金を使ってしまったらやばい」という線を越えるのがギャンブル。ですから。「やばい」と思うところまで踏みこまなければギャンブルを知ったことにはならない。また、その時に「やばい」を知り、そこからちゃんとした"足し算引き算"を覚えていくという勉強の仕方もあるんです。
要は"やばい足し算引き算"に慣れなきゃいいだけ。ただ、人は慣れそうになる、絶対に。でも、そこで我慢を覚えるんです。我慢を覚えると、買い方の我慢も覚える。
極論かもしれませんが、足し算を覚えるにしても、買い方を覚えるにしても、「やばい」が分からないと本当の計算はできません。
手持ちのお金の中でどう勝負するかを考え、こんな保守的な自分でいいのだろうかと思う日もあるでしょうし、「もっと狂った俺でいたい」と思った時には、その日のために何かを我慢したり、貯めたりしなければいけない。
そうして我慢を重ねて狂った勝負ができるだけのタネ銭を用意しても、いざとなったら最後の一歩を踏み出せず、想像以上に保守的な自分がいることに気付く場合もある。または逆に、狂おうとしても意外と冷静かつ大胆に勝負できる自分に気がつくことも。
つまり、人にはいろんなバランスのとり方がありますが、大事なのは稼いだお金とギャンブルで賭けるお金のバランス。その基本的な"足し算引き算"さえできていれば、何も問題ないと思いますよ。
●お悩み[2]
「なりたい職業を両親に言えません」
両親が大のギャンブル嫌いなので今まで私は隠れてパチンコや麻雀をしてきました。今後は、そうしたギャンブルの経験を活かしてパチンコライターやプロ雀士を目指したいのですが、それを正直に打ち明けたら反対されるに決まっています。そんな両親とうまくやっていくためにはどうしたらいいのか、こんな私に良きアドバイスをよろしくお願いいたします。
(20代・女性)
結果的に一番いいのは、その仕事で食っていけるようになること。でも、親子喧嘩を覚悟の上で先に自分の目標を打ち明けるべきかどうかは難しい問題ですね。"血"って、切っても切れないものだから。
僕は「必ずしも最初からいい人だと思われる必要はない」と考えるタイプです。テレビの仕事なら視聴者、雑誌の仕事なら読者が一番大事であり、目の前のプロデューサーや編集者に好かれようと仕事をするわけではありません。
だからこそ、時間をかけて信頼関係を築いた結果、最初は僕の悪口を言っていた人が褒めてくれるようになったとしたら、その言葉の方がより信憑性が高いと思いませんか。
何が言いたいのかというと、時間をかけることできちんと分かり合える…その最たるものが家族だということなんです。本来、人は身内と過ごす時間が一番多いのですから、本気でやりたいのなら、反対されようが嫌われようが、やりたいようにたればいいんですよ。"血"は何よりも濃いのだから、心配することはありません。
ただ、気がかりなのは少し安易な匂いが見え隠れするところ。パチンコライターといっても、単なる職業ライターではなく、競争の激しいタレント的な立ち位置で勝負しようと考えているなら、「こいつおもしろいなあ」と思ってもらえる努力をしなければ生き残れません。
そうした下地はこれから作るのだとしても、両親に目を向けているうちは、やはりダメなんじゃないでしょうか。働くということは、外に出ること。仕事で関わる人たちに目を向けることが第一です。それで仕事がもらえるようになったら、おのずと両親がこの方を見る目も変わるでしょう。
もし、その時になっても両親の気持ちがかわらないのなら、それこそ理解してもらうことは諦めるしかありません。ただ、今はそれ以前の問題で、この方の目を向ける方向と順番が違っているように感じます。
●お悩み[3]
「ギャンブルを引退して別の遊びを見つけたい」
今まで、競馬、パチンコ、麻雀、ボートレース、競輪、オートレースに手を出して、ことごとく負けてきました。自分にギャンブルの才能はないと気づいたので引退したいのですが、今後は何を楽しみに生きればいいのか分かりません。お金がそれほどかからず、でもギャンブルと同じようにドキドキできる遊びがあったら、ぜひ教えて下さい。
(40代・男性)
ギャンブルに代わるドキドキは何かしらあると思います。ただ、さまざまなものに手を出してきたということはギャンブルが大好きなはず。そんな方がギャンブル以外のものを求める前に「そもそも"ギャンブルの才能"というものは存在するの?」と聞きたいですね。
割合は低いけど、ギャンブルで勝っている人は確かにいますよ。でもそれは才能によるものではないと僕は思っています。ギャンブルに必要なのは「計算・勇気・運」の3つです。数学主義の僕は、ギャンブルでの勝利の大部分はデータ分析によるものだと思っているので、才能の一言で片付けることはできません。
では話を戻して、ギャンブルと同じドキドキ感が味わえるものを挙げるとすれば、それは仕事です。昔、お付き合いしていた女性のお父さんにこんなことを言われました。
「私は仕事で毎回ギャンブル(のような大きなこと)をしているから、私生活でギャンブルをする必要がないんだよ」
と。当時それを聞いた瞬間、僕とは仕事における勝負のレベルが違うんだろうなと思い、負けを認めざるを得なかったんです。
でも後になってよく考えてみたら、仕事のドキドキ感はまったく違うと気づいた。どっちのドキドキ感が上とか下とかじゃなくて、僕は仕事のドキドキ感とは別種(ギャンブル)のドキドキ感を得ることでバランスをとるという収め方をしたんです。
考えてみれば、ギャンブルで一番楽しいのは結果が出る前かもしれません。その間は一番ドキドキできるから。ハズれてしまったらどん底ですけど、でもまた勝負ができる。
そうした度重なるギャンブルで大きな刺激やストレスがあると、普通は癒しを求めるんでしょうが、僕は要りませんね。「やられたらやり返す」ではないけど、仕事でのミスは仕事で汚名返上するしかない。ギャンブルも本質は同じでしょう。
当たれば「それみたことか」となる。それが僕にとっての癒しなんです。世の中では、ほんわかしているのが癒しだと思う人が多いのでしょうが、僕は「果たしてそうなのか?」と思っちゃうんですよね。
ギャンブルのいいところは当たれば報われるところ。それに、仕事よりも短いスパンで次々と勝負できること。ただ、なかなか勝てるもんじゃありません。
麻雀のうまい人はたくさんいるけど、強い人は少ない。強いということは、勝つということ。ギャンブルも同じで、好きな人はたくさんいるけど、本気で勝ちにいく人は果たしてどれだけいるのでしょうか。
だからこそ、この方に聞いてみたいんです。あなたは本当のギャンブルをしたことがありますか? ギャンブル好きというレベルではなく、もう一歩踏み込んで「どうしたら勝てるのか」を考えたことはありますか、と。