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- 踊る東京ギリギリス(鹿達ロクロウ)
沖縄・パソコン・学生ローン
「とりあえず1月9日までは向こうにいるから。それで、10日は昼間はバイトのシフトが入ってるから、次はアレだね。10日の夜とかかな」
「わかった。それまでに俺は来店ポイントをちまちま貯めつつ、例の件、探っておくわ」
「ああ、そんじゃ」
「はいよ」
携帯電話のボタンを押して通話を切った。宣言通り、トゥンは今日から年明けまで実家のある広島に帰郷するという。
さて、と。年末特有のどこか浮足立った人ごみをすいすいっと避けながら、俺はショッピングモールを進んだ。
モールの中ほどに立ち食いソバ屋があり、そこはゆで卵が無料なので、あったけぇたぬき蕎麦に生卵をトッピングしたうえでゆで卵にもタダでありついてやろう――と、そういう魂胆である。
ゆで卵は無料なのに、何故か生卵のトッピングには50円を要求されるという謎すぎるシステムには蕁麻疹が出そうな違和感を覚えるが、「卵を茹でる」という行為そのものがソバ屋スタッフの精神の安定に一役買っている可能性もあるので深くは追及しない。
とにもかくにも、20代前半の大望を抱いた快男児たる俺であるからして、卵を日に2個ほど摂取しておくのは栄養面の充足という点で考えてみても好ましいことに違いないのである。
食った。美味かった。
持ち金は4万ある。全て昨日、「ふれんど電」に借りた金である。
「ふれんど電」とは何か。
それは、大学生にほぼ無条件で金を貸してくれる夢の企業である。学生証を見せて、親の連絡先さえ用紙に書き込めば、ピッピッピッとお姉さんが美しい指先で数えた万札が即座に俺の手元にやってくるという段取りで、これを俺は最近知った。
教えてくれたのは、雪の降る六本木で出会ったタカギ君という利発そうな高青年で、やや釣り上がった切れ長の目が印象的なハンサムボーイだった。俺たち2人は寒さに震えつつ車の数を数えていた。そう、交通量調査のバイトである。
交通量調査は、日雇いバイトの中では人気の高い部類だが、雪が降る中でやるのはなかなかキツい労働だった。かじかむ手で押す金属製のカウンターの冷たさは冬の東京――いや凍狂を象徴するアイテムのようだった。
そんな中、タカギ君は最初の休憩の時に、何も言っていないのに缶のコーンポタージュを「おごりっス」と言いながら俺に渡しニッコリと微笑んだ。その笑顔に俺は一発で惚れ、なんてイイ男だろう、将来もし娘ができたらこういう男に嫁がせたいものよ、と思い、実際にそう言ってみたら「アハハハ」と笑ってくれたのだった。
「年末年始は彼女と沖縄行くんスよ」
タカギ君のその一言で彼の株は一気に暴落した。彼女と沖縄に行くようなセーガク(学生)にロクなヤツはいない。お前らが沖縄にいる間だけ、ソーキそばが全部売り切れであれ!! と心の中で祈りながら、表面上は努めて冷静に「ほーん、そうなんだ。いいね」などと返しておいた。
あんな、肝心のコーンがほとんど缶内に取り残されることを宿命づけられているコーンポタージュの一缶如きで大の大人を懐柔しようだなんて片腹痛い男だぜ。そんなご予定があるアナタ様と、こんな年末年始も中野のパチ屋で来店ポイントを稼ぐことしか予定がない私みたいな者が、ココ六本木で出会うのも、こりゃまた縁ってヤツですかねぇ、ってやかましいわクソ野郎。
と、そこまで心中で呪詛を唱えていた時、ふと「日雇いバイトするようなヤツが沖縄に行けるものかね。彼女と」との疑問が湧いた。
「日雇いのバイトの金ぐらいじゃ沖縄行っても貧乏旅行でしょ。彼女怒っちゃうんじゃん?」と俺は訊いてみた。
「いやぁ、まぁそうなんスけど。そっすね。ま、足りない分は学生ローンで借りるっス」
「学生ローンて何? 名前は聞いたことあるけど」
とまぁ、そういうワケで、俺は学生ローンの存在を知った。「学生ローンで金を借りることの簡単さは、穴がないスーパーマリオの1-1に匹敵します」とタカギ君は言い、「それってマリオはクリボーとかにだけ気を付ければいいだけじゃん!」と俺は絶叫した。そしてさらに、「ロクさん携帯の番号教えてくださいよ、合コンしましょうよ」とタカギ君は言った。
有用な情報だけでなく俺の色気のない生活に彩りを与えてくれようとまでしてくれるなんて、タカギ君はもはや俺にとっての「爺」に他ならない。色々話していたら都内の大学に通っている2コ下だということがわかったが、俺にとってはもう「爺」だった。俺が殿、彼が爺。
学生ローンで借りた金が財布の中に4万ある。24時間前に借りた段階では5万だったが、すでに1万が消滅している。
「ふれんど電」が入っている築年数30年は経とうかという雑居ビル、その隣にあった小さなパチスロ専門店で運試しで大花火を8000円打ってバケが当たったけど、そんな出玉は当然ノマせて、帰りに肉うどん大盛りとおいなりさんを食べた。
今日は起きてから来店ポイントゲットのためにホールに行き、そこでは俺の鋼鉄の理性が「打つべき台がない」と判断を下したために大人しくホールを出て、トゥンと電話し、そして今、生卵とゆで卵をソバと天カスとともに食したというワケである。
この後にやること、それはうどん→そば、と来たから次はラーメンかパスタを食うコト…ではなく、「例の件」の進行であった。
トゥンが思いついたポイントカード偽造計画。この計画に必要となるのがパソコンだが、俺の周りにパソコンを持っているような洒落た友人はいない。それを何とかするのが「例の件」だった。
大学のPCルームに行けば、学生が使えるパソコンがズラッと並んでいる。そこはいつも混んでいて、全員が無言で一心不乱にカチカチやっていた。白黒のフィルムで撮影して「歯車」ってタイトルつければ映画コンクールでイイ線行くんじゃない、知らねーけど。とにかく俺はあの場所が苦手なので行きたくない。
ヒュウマは先月「インターネット買いたい」などと言うので「インターネットは買えねぇよ」と俺が笑いながら言ったら、きょとんとしていたので全く役に立たないことが確定している。
どうすべきか思案すること数分、知り合いの中で数少ない理系の頭脳を持つオーガのことが頭に浮かんだ。
その夜、オーガと駅前で落ち合い、とりあえずとばかりに行きつけの居酒屋に行き、お通しをキャンセルしつつ、鏡月をボトルで頼んでウーロン茶割りでひたすらに飲んだ。
「トゥンが言うにはさ、マックがいいんだって。マック」
「iMacのこと? なんかあのスケルトンの?」
「そそそ。それ。デザインとかするならマックだって」
「でもあれ結構古いでしょもう」
「知らん」
「そもそも、パソコンだけあってもダメじゃないの? ソフトとかってアレだぜ、すげー値段するんだよ?」
「うーん、なんか面倒くさいな」
「お前ら、偽造するって簡単に言うけど、悪事を働くにも行動力がいるんだぜ?」
「おあぁっ…! すっごい説得力…!」
「ダメだなこりゃ。俺も詳しくないけどお前ら何も知らなすぎるよ」
「何で詳しくねーんだよ。理系のクセに何やってんだ! これからはITの時代だぞ!」
「俺は機械工学なんだよっ! 情報系じゃないの」
オーガは呆れ果てていたものの、計画にはかなりの興味を示していた。
数日後の大晦日、俺の家で酒を飲みつつ紅白歌合戦を観ていたら「アレ、できるかもしれねーぞ」と突然オーガが言った。
「アレって?」
俺はコタツに炙られたことによる乾燥肌からくる痒みを太ももに感じつつ生返事をした。
「カード偽造」
オーガは言った。スルメを噛み切りながら。
「今言うかそれを。中島みゆきがダムで歌っている今、それを…!」
オーガは恵比寿にあるビジネスホテルでバイトをしていて、すでに2年以上が経っていた。事務所にはパソコンがあって、ある日、社員の偉い人がホテル内の貼り紙をデザインしてプリントアウトしているのを見かけたという。のみならず、やり方を教えてくださいよ、と言ってみたところ社員さんはオーガを向上心溢れるバイト君だといたく感動し、次のバイトの際に教えてあげると約束してくれたという。
「おまえ、人の善意につけこんで…俺たちがやるのは偽造だよ」
一応、俺は良識ある人間としての批判を口にしておいた。
「おぉい! バカか! 何を今さら」
「ウソウソ。やるじゃん。つまりアレだろ、そのソフト? でデザインするってことだろ? こ・の・極悪人」
「ふふん。その通りだよ。よし、ロク、ポイントカードちょっと見せろ」
俺はコタツから匍匐前進で出て、小物入れにまとめて置いてある90枚ぐらいあるカードの1枚を手に取り、畳の上をシャーッと滑らせた。
タンッ。とオーガはカードを止めた。その動きが何だかカッコよかったので、俺は素直に「おぉかっけぇ」と言った。しかしその後、オーガはカードを上手く取り上げることができず、カードの端っこを何度も爪でカリカリやって、癇癪を起して「はぁん! もう」とか言うので俺は爆笑してしまった。
やっとのことでカードを畳から引っぺがしたオーガは、渋い顔つきでそれを凝視して、「ふむ…多分アレかな。このフォントは…もしやゴシックの…」とか言いだした。
「か…かっけぇ!!!」
俺は酒を噴き出しかけた。
さっきまで流れていた「地上の星」のせいか、オーガの言動はまさに難攻不落と言われる一大プロジェクトに一身を捧げる男のそれだった。どっかのサビれたホールのポイントカードを偽造しようとしているとは誰も思うまい。
「ロク、これ1枚預かるぜ」
「もちろんだよ。頼んだぜ、オーガ」
0時を迎え、お互いにきちんと新年のあいさつを交わし、小腹が空いたということで歩いて5分のセブンイレブンに行き、おにぎりとかポテチとかを買ってアパートに戻り飲み直した。いつの間にかコタツで寝落ちしていて、元旦の昼過ぎに俺が目を覚ますとオーガはもういなかった。どうやら帰ったらしい。
オーガから連絡があったのはそれから1週間ほど経った日の朝だった。夜勤明けのオーガの声が携帯電話越しに聞こえる。
「よぉ、例のアレ。できたぞ」
【続く】