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- 踊る東京ギリギリス(鹿達ロクロウ)
浴衣姿が眩しすぎるがゆえに野菜タンメン
3つ年上だが同級生のトゥンは高円寺で一人暮らしをしていた。彼の住むアパートの部屋は、もし仮に高名な風水師が玄関から足を踏み入れようものならばその瞬間にえずいちゃう感じの歪な5角形で、家財道具は基本的に高円寺一帯でトゥンが拾ってきたものばかりだった。
「みどり…?」と、4年前に別れた恋人・緑に対して思わず呼び捨てで声をかけてしまう元カレ、みたいになってしまう緑っぽい色をしたソファ。
オレンジと黄色で描かれた小さいヒマワリでいっぱいの、目がチカチカして飯を食うことに全然集中できないテーブル。
そして、潰れたライブハウスが廃棄したのであろう、一人暮らしの部屋には似つかわしくない、色んなシールが8万枚貼られた超巨大スピーカー2個は、俺も運び込むのを手伝った代物だ。
その他、とにかく雑多かつカラフルな物で周囲を固めてないと死ぬんか? ってぐらいに全てがとっ散らかった部屋で、俺とトゥンは作戦会議を開こうとしていた。
「トゥンさ、朝とか暇でしょ?」
俺は、買ってきた鏡月をトゥンの持つコップに注ぎながら言った。
「朝? 朝は暇だけど…パチスロットルなら行かないよ」
「なんで!?」
「だって負けるし、負けたらロク、不機嫌になるじゃん」
「ちがう、ちょっと待って。落ち着いて話を聞いてくれ」
「ちがわない。落ち着いてるし、パチスロットルは打たない」
何という態度だろうか。俺がわざわざ手土産に酒買ってまで参上したってのに。あろうことかコイツときたら、パチスロのことをスロともスロットとも言わずにパチスロットルなどと謎に独特な言い方をしてまで貶めようという有様である。
だが、ここで俺が不機嫌になっては作戦進行の妨げになる。ここは俺が大人にならねばなるまい。
「聞いてくださいよ、絶対勝てるんですよ、こ・れ・が! ある作戦を使えば…ね」
「前もそんなこと言って2人して8万円ぐらい負けたじゃない。絶対なんてないの。それに金もないし」
トゥンはマルメンライトに火を付けながら立ち上がり、300枚ぐらいはありそうなCDラックから次にかけるべき曲を物色し始めた。
「まままま、まぁ聞きなさいよ、トゥン。お金はあんまりかからない、どころか、全然かからない。時間もそんなにかからない。トゥンにやってほしいのは、マジ簡単なことだから。11時少し前にパチ屋に来るだけ」
昨日、王将で餃子セットを食い終わった時に俺に下った天啓――それは、「来店ポイントを複数人で集めてしまえばいいじゃないか」という、まさにコロンブスの卵的な、今までの常識が全て反転してしまうと言っても過言ではないほどの思考の一大パラダイムシフトであった。
この場合、最も重要になってくるのが、協力者の居住地が中野にある当該のパチ屋までどれぐらいの距離なのか、ということである。その点、トゥンが住んでいるのは高円寺なので、そのハードルは軽々とクリアしている。
そして次に俺が求める人材の条件、それは来店ポイントのカードを俺にくれるような気高く友情に厚い魂を持っている男かどうか、である。その点では、大学入学当時、自己紹介で「加藤です」と言うべきところを「2浪したので皆さんより年上のカトゥンです」と噛んでしまい、その瞬間からあだ名が「カトゥン」になり、挙句の果てに「トゥン」とまで略されるようになっても全く動じない心広き男である彼ならば、むしろ喜んでポイントカードを俺に捧げてくれるだろう。
「11時にホールに行ってカードをもらって、それをロクにあげればいいの?」
「そう、その通り。飲み込みがとても早い」
「んで、俺はその後、帰るってこと?」
「まぁそうなるね。別に道で踊っててもいいよ。任す」
「バカか! バカか!」
「ウソウソ、ごめん。メシぐらい奢りますがな」
………
………
………
「なら、いいよ」
いいのかよ! と、思わず飲みかけていた鏡月を盛大に噴き出しそうになったが、ギリでこらえた。よし、協力者ゲット。前途は洋々だ。今晩は大いに飲むべし。巨大スピーカーから出る内臓が揺れるほどの重低音で酔いを加速させながら、寝落ちするまでとにかく飲むべし。明日は、来店ポイント獲得スピード倍化計画がスタートする記念すべき日だ。つまり今晩は前夜祭なのだ。
トゥンが電気グルーヴのアルバムをCDプレイヤーにぶち込んだ。瀧が富士山、富士山って歌っております。おぉ、視界が回る。煙草の煙で部屋全体にモヤがかかってる。おしっこをしたいけどトイレに行くのが面倒くさい―――。
猛烈な尿意で目が覚めて、窓際に5〜6個置いてある目覚まし時計を見ると、そのうちのちゃんと秒針が動いている2つが10時5分ぐらいを指し示していた。
「でぃ!!!」と絶叫して、眠りこけているトゥンを覚醒させようとしたが、微動だにしない。しかしまずは尿意を解消せねばならないので便所に行き、よくこんなにたくさん溜めましたねぇ、というぐらいの量を排出して膀胱を空にした。
トゥンは基本的に朝に弱いので、起こすためにはそれなりの工夫が必要となる。俺はそこらに散らかっていたMDをプレイヤーにヌイ〜ンと差し入れて、ジッタリン・ジンの「夏祭り」をかけた。前奏直前のボーカルオンリーのパートは通常の音量で、前奏が始まった瞬間にボリュームを最大にした。
デケデッ、デケデッ、デケデッ、デケデッ…。巨大スピーカーから爆音が発せられて、俺自身も鳩尾(みぞおち)らへんにボディブローを喰らったみたいなダメージを受けたが、トゥンの方を見るとさらに効果てきめんで、両耳を手でふさぎ目を固く閉じながらも口を最大限に開き、ムンクの叫びのごとき苦悶の表情を浮かべていたので俺は爆笑した。
「起きろオラ!!!!」と俺は叫んだ。と言っても、爆音のせいでかき消されているが。
トゥンは、「あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!! もう嫌ぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」と絶叫しながら立ち上がった。
朝、起きた瞬間に「もう嫌ぁ」って絶叫するヤツを俺は生まれて初めて見たので、それがツボに入ってしまい、腹筋が痛くなるほど笑った。
「何が嫌なの? グハハッハッハハッハハハハ!! 起きろって言ってんだよ!」
「うるさぁい!!!! 止めて!!! 曲!!!!」
俺は曲を止めた。トゥンを見ると、2日酔いと寝不足と最悪の寝起きのせいか、酷い顔色だった。しかも、何故か「ふぅ…ふぅ…」と息が上がっていて、それは明らかに爆睡中にいきなりデケデッ、デケデッされたからであり、その上、はぐれそうな人ごみの中はなれないで出しかけた手をポケットに入れて握りしめていたのだからそりゃもう息も上がっちゃうでしょうね…と思うと俺は笑いをこらえるのが不可能になって、再び爆笑してしまった。
「なんでそんな元気なの、ロク」
トゥンは心底呆れた、といった表情をしていた。
「だって今日は作戦決行の1日目だからね。テンションも上がろうってもんよ」
――――40分後。
作戦は死ぬほどあっさり成功した。考えてみれば当然である。11時にパチスロの台の前に座ってさえいれば、打っていようが打っていなかろうが来店ポイントのカードをくれるのだから。しかも、1度与えたポイントカードは客同士が贈与しようと店側は知ったこっちゃないらしく、改めて俺の着眼点がいかに素晴らしかったか、ということを再確認した次第である。
と同時に、こんなガバガバのシステムなのにその隙を突こうとする人間が俺の他にいる気配がないほどにこの店が流行っていない、ということも再確認したのだった。
店を出て、念のため店員の目の届かない場所まで行き、トゥンからカードをもらった。
「終わり?」
俺がさっき買ってあげたマルメンライトを吸いながら、死にそうな顔でトゥンが言った。ジッタリンジンによって与えられたクリティカルなダメージからまだ回復していないようだった。
「うん、終わり。あと一応データ見て、5の倍数に近いBIG回数の台があったら打つとこだったけど…」
「なかった?」
「ないね」
「………」
しばしの沈黙。
「…………え?」と俺は怪訝そうな表情を作って見せた。
「え? じゃないでしょ!! メシ奢ってくれるって言ったじゃん!! タバコだけじゃ誤魔化されないからな」
「わ〜〜かってるよ。冗談だよ冗談。ちゃんと奢るから。牛丼太郎でいい?」
「うおぉおお!! バカか!! ふざけんな!!」
牛丼太郎は中央線沿線で生き抜く若人たちのセーフティーネット的な飯屋で、その「安さにきちんと比例した美味しくなさ」に俺たちは皆、愛憎半ばする気持ちを抱いていた。トゥンが怒るのも無理もない。
「大丈夫。嘘。ごめん。王将行こ」
健さんが餃子を焼いていたので、俺はトゥンに餃子セットを食うべきだと力説したが、トゥンが頼んだのは野菜タンメンだった。俺は「センスねーなぁ」と舌打ちしたが、いざ野菜タンメンがテーブルに届くとすげー美味しそうだったので「一口ちょうだい」と言ったら「死ね」と言われた。
「さっきのカードさ、もっかい見してくんない」
タンメンを食べ終わり、顔色も良くなったトゥンは俺にそう言った。不思議に思いながらも、カードを財布から出して手渡す。
「ふぅん…これを何ポイント集めるって? 今どれぐらいなの?」
「今は420ぐらいで、最低でも700、理想を言えば3000ポイントぐらい貯めたい」
「遠っ…無理でしょう。当たり前だけど俺、毎日は来れないよ。しかも年末年始で広島帰るから、しばらくは全然来れないし」
「あぁ、そりゃま仕方ねーわな。来年からまた手が空いてる時に手伝ってよ…来店ポイントが倍になるだけでも大分違う…」
「っていうかさ!!」
トゥンは突然大声を出した。周囲の客の目線が一瞬コチラに集まったので、トゥンは気まずそうに肩をすくめ、「…このカードさ、作れるっしょ」と小声で言った。
「トゥンさん、今、何とおっしゃいました?」
「いやだから、このカード、パソコンで作って印刷してさ、ラミネート加工すればいいじゃん。偽造だよ偽造」
偽造だと?
何だよその心躍る提案は。目の前にいるトゥンがカリオストロ伯爵に見えてきた。これがナチュラル・ボーン・犯罪者ってヤツか……。その発想はなかった。
だがしかし、そんなことが実現可能なのか? もし可能なら……エヴリデイ高設定バラ色グレイトフルデイズということになる。なってしまう。マジで?
俺たち2人は顔を見合わせて、お互いに満面の笑みを浮かべた。
【続く】