夜中のパン工場で色即是空
  1. TOP
  2. 踊る東京ギリギリス(鹿達ロクロウ)
  3. 夜中のパン工場で色即是空




路線の違う2つの駅のどちらから歩いても中途半端に遠い場所に、その建物はあった。

そこは平日の朝と昼過ぎに日雇いバイトの募集が貼り出される、いわば学生専用のバイト斡旋施設だった。

食い詰めた貧乏学生どもが、なるべく楽で日当のいいバイトをゲットしようと掲示板の前で押し合いながら待機している。まるでカンダタに垂らされた蜘蛛の糸に群がる罪人のようである。

全くこのボンクラどもが。と、全員が互いに思っていて、もちろん俺もその中の1人なのだが、俺は掲示板の前で待機するというのがどうにも浅ましい行為に思えて、そこには加わってはいなかった。吸殻を捨てるバケツを挟んで置いてあるベンチに座り、500mlで100円のコカ・コーラを飲みつつマルボロを吸っていた。9月も半ばだというのに、強すぎる日差し。さらにうるさすぎる蝉。煙草を吸うことでそれらを緩和させねば身がもたない。

14時――掲示板にバイト募集の紙が貼り出される時間――まであと5分。今の段階からすでに掲示板前に待機しているようなちょっぴり間抜けなおのおの方は知らないだろうが、交通量調査のような比較的楽なバイトが貼り出される場所には、ある種の傾向があるのだ。

縦2m、横10mほどある掲示板の中央やや左あたりの下の方、このあたりにお宝バイトが貼り出されることが多いのだ。それを把握してれば、おめーらみたいに雁首揃えて5分も10分も前からピヨピヨしてる必要なんてネんだよ、下級戦士どもが。と、煙草の煙を鼻からフスーッと出しながら心中で毒づく俺。

交通量調査に狙いを定めるのが上級戦士かどうかは意見が分かれるところだろうが、とにもかくにも14時になった。3人の職員さんたちがそれぞれに掲示板の左・中央・右あたりから募集の紙をドンドン貼っていく。俺の狙いは中央やや左の下段なので、1番左の職員さんが終盤あたりで貼る紙にだけ焦点をあて、風林火山の山の要領でむやみに動かず群衆の後方で待機。うつけどもは貼られた紙の1枚1枚に群がっては、フンムフンム(鼻息)しながら血眼で紙を凝視している。

紙には番号が振ってあり、バイトの日程・報酬・場所などの条件が見合えば掲示板の反対側にあるカウンターに行き、そこで番号を伝える……というのが一連のシステムである。カウンターには職員が1人しかおらず、皆は列を作ることになる。首尾よく自分がやりたいバイトにありつくことができ、かつ自分がバイト募集枠のラストの1人だった場合、当然のことながら掲示板にその紙は必要なくなる。そこでその紙を剥がすという栄光を、そのバイトを得ることのできた最後の1人が担うことになるのだが、群衆の羨望の眼差しを背に紙をビリッと剥がす様は底知れぬ快楽がある(場合がある)。


カウンター前の列がどんどんと長くなっていき、掲示板の前の人数は少なくなってきた。

皆、堪え性がなさすぎる。

貼り出されていく中での比較においてのみ条件の良さそうなバイトに飛びつくからそんなことになるのだ。美味しいのは終盤にあるの。アハハ。さぁ、そろそろ、その終盤がやってきましたよ。風林火山の林の感じで俺は掲示板の前に行った。林が何の意味だったのかは今思い出せないけど。

何々、引っ越しバイト? ……はいはいダメ。引っ越しとかキツすぎる。9月だというのにこんなに暑いのだ。それを知りつつ太陽にさらされながらタンスだのソファだのを運ぶことなど不可能だし、この引っ越し会社は評判が悪すぎる。知り合いがこの会社のバイトをした時は「荷物を殺しておけ」と言われ「殺す」というのが業界用語で言うところの「荷を縛る」だとわからずマゴマゴしていたら「おめー殺されてぇのか」と本来の意味での「殺す」という言葉を吐かれ、ローキックをぶち込まれたという話を聞いたので却下である。

次は、と。パン工場夜勤……ね。夜中にパンくれるのはいいんですけど、パンの製造ラインの傍らでは時間の進みが通常世界の1/10になることが昨今の研究から明らかになっているので却下である。死ぬほど退屈だし、単純作業の繰り返しは脳細胞が死滅していくのを実感しちゃうからダメである。

次は…え〜倉庫整理、アットホームな職場です、だと。倉庫にアットホームさは求めていないし、前に倉庫整理やった時は社員さんが全員ヤンのキーで大学生という存在を心底憎んでおり、普通に怖かったので却下である。



楽なヤツがないじゃん!!!! そういう日か!!!!

誤算である。楽なバイトの募集がない日もそらありますけども、今日に限ってないとは。このままではリアルボルテージのノビタにリベンジできねぇじゃねぇか。というか2日ぐらいで有り金がゼロになるからメシも食えなくなるじゃねぇか。やべぇ。

結局、俺は一晩パン工場で働いた。パン工場なのに作ったのは柏餅で、その時点で意味のわからなさに時空が歪みかけていたが、実際に労働が始まり2秒に1回ぐらいのペースで餅に柏を巻いている間は、なんかこう色即是空、って感じで宇宙との一体感を全身で感じていた。


そんなこんなで日雇いバイトをしてはパチスロを打ち、勝てば勝った金を軍資金にまたパチスロを打ちに行く。負ければ引っ越しだの交通量調査だのといった日雇いバイトをし、またそれをパチスロに注ぎ込むという生活を送った。

何のためか。そう、それはノビタに殺意を抱いたあの日、ホールで見た「新イベント」のためである。ポイントを貯めれば高設定が打てる、という魅惑のイベント。店に行って、午前11時頃に台の前に座っていれば、店員がやってきて「5PT」と書いた名刺ぐらいの大きさのカードをくれる。要は来店ポイントである。

店員が配り始める最初の方の席に座っておいて、1枚もらった後に別の席に移れば2枚もらえるんじゃねぇの? って俺と同じように考えたのであろうオジサンが、若い店員に「ジジイ、うぜぇことしてんじゃねぇ!!」とヒクほど怒鳴られているのを見てその作戦は断念した。

また、データ表示器上でBIGの回数を5の倍数にした際に店員を呼べば、再び5ポイントカードをもらえる。つまり、BIG4回とか9回とかの台は狙い目である。

……狙い目じゃない。

まず皆、そんな回数ではやめない。俺もやめない。そしてそういう台があったとしても、何故かそっからアホのようにハマる。せっかく勝っていたのにBIG4回の台を見つけて打ったがためにマイナス収支どころか持ち金を全部溶かした、なんてことは1度や2度ではない。


そもそもがだ。一体、どれほどのポイントを貯めれば高設定が打てるのか。

景品カウンターの奥には大きなポイント表が貼ってあり、そこにはこうあった。

クィーンコース
ノーマルタイプ ゴーゴージャグラーSP
ハイパージャグラーV
700PTで設定4が打てる!
1000PTで設定5が打てる!
1500PTで設定6が打てる!

キングコース
大量獲得機 大花火
リアルボルテージ2
不二子2
1800PTで設定4が打てる!
2200PTで設定5が打てる!
2800PTで設定6が打てる!

ゴッドコース
AT機 猛獣王
ブラックジャック777
アラジンA
3000PTで設定4が打てる!
3500PTで設定5が打てる!
?????PTで設定6!?

※機種、及びポイントは予告なく入れ替わります。


最低の700PTを来店ポイントだけで貯めようとするならば、合計で140日間、午前11時には台の前に座っていなければならない。つまり最短でも5ヶ月弱かかる。

俺は行ける日はとにかく店に通った。軍資金が1000円しかなかったり、1000円すらなかったりしたときも11時少し前に店には入り、適当な台に座ってデータ表示器を見ながら吟味してるフリをしつつ来店ポイントカードをもらったりした。

何しろ俺の狙いはリアルボルテージの設定6だ。道のりは遠い。来店ポイントだけでは2年ぐらいかかってしまう……って、リアルボルテージ、そんなにずっと置いてあるかな? という当然の疑問を持ったその年の冬、リアルボルテージはしれっと撤去された。




師走に入り、街中のクリスマスムードが高まる中、俺はノビタへの復讐の機会を逸したことの悔しさに1人拳を握っていた。9月から今日までに貯めたポイントは415PT。おそらく300PTぐらいは来店ポイントで、残りが5の倍数BIGでもらった分だろう。

え…えぇ…。遠。700PTですら遠。「遠い」の「い」を言わないことでダルさを強調しているワケだが、それだけではまだ表現しきれていない気がするので、俺は心の中で「えん」と音読みしていた。はぁ〜〜マジで、えん。

さてはアレか。店の奴ら、高設定打たせる気、ねーな。さては。ねーヤツだろ、コレ。打たす気。

9月からコッチ、日雇いバイトをするかパチスロ屋に行くか、まれに大学に行くかという生活を送って、金に余裕があった日々など数えるほどしかない。つまりココ数ヶ月の収支はきっちりがっつりマイナスなのだ。燃料タンクに穴が開いている(パチスロで負けてる)せいで墜落しつつある飛行機に、時たま燃料(日雇いで得た金)を追加しては低空飛行で飛距離を伸ばす……コレじゃ何が目的なのかわからない。不条理劇か何かか?


その日も俺は11時前にホールに行き、来店ポイントをもらって、5の倍数に近い台がないのでとりあえず打たずに近くの王将に行き、餃子セットを頼んだ。餃子職人の健さん(俺命名)が焼いた餃子だから、いつも通り美味い。しかし、ホールのあくどいやり口が見えてきつつある今、その怒りが餃子の美味に耽溺することを許してはくれない。

食い終わったので、とりあえず割り箸を右手の人差し指と薬指の上、中指の下に挟む。つまりファック・ユーのように中指だけ立てた状態で割り箸を配置して、他の指を握った状態から開く、ということだ。そんで中指にグッと力を入れて割り箸をベキッと折ろうとした。何でそんなことするのかというと、ポイントという甘い汁で善良な人々を惑わせている唾棄すべきホールへの義憤を我が身を通じて表現するために他ならない。


割り箸が思った以上に固く、指が痛くなったので折るのは諦めた。

だがその時、とてつもない名案が頭に思い浮かんだ。

ニヤニヤを抑えながら会計を済ませ、厨房の健さんに会釈し、俺は店を出た。常連とはいえ、健さんに会釈したのはこの時が初めてだった。それぐらい俺は自分の思いつきに有頂天になっていたのだ。

そうだよ、どうして今まで思いつかなかったんだろう。

来店ポイントを貯めるスピードを倍化させる、簡単な手があるじゃないか。


【続く】
アツいぜ
8