- TOP
- 踊る東京ギリギリス(鹿達ロクロウ)
よくわからない薬を飲んで得た金
家賃3万4千円・和室6畳・風呂なし、トイレ共同という我が城に帰ると、既にオーガは俺の部屋の中央にあるちゃぶ台の上に乗り、腰に手をあてて1.5リットルのコーラのペットボトルを飲んでいた。
「おぉ、何でテーブルの上に乗ってるの?」
俺が至極当然の疑問をオーガにぶつけると、奴は「グゥェ〜〜〜〜ップ」と盛大にゲップをして、コーラを俺に手渡してきた。とりあえず俺はそれを飲めるだけ飲んだ。
「何なのこの部屋、暑すぎるだろ死ねよ」
オーガはちゃぶ台から降りて、どかっと胡坐をかいた。
「グェップ。なぁ何でちゃぶ台の上に乗ってたの?」
「この扇風機、『強』の上ないの? ねぇ?」
「ないよ。つーか風を独占すんな、俺だって暑いんだから」
「静かにしろよ。クーラーもない部屋に住んでるくせに。うるさいんだよ、帰ってくるなりギャーギャーとよ」
クーラーがないとはいえ、ここは俺の部屋なのだ。俺は断固としてこんな暴言を許してはならない。だがしかし、オーガが今ここにいるという事実は、言い換えるならば「金がここにある」かもしれない、ということになる。
何しろ俺の所持金はほぼゼロなのだ。オーガから金を貸してもらうことができれば、漫画を売って日雇いバイトの交通費を捻出する、なんて必要もなくなる。ここでコイツの機嫌を損ねるわけにはいかない。俺は瞬時に高度な政治的判断を下した末に、「うるさくしてすみませんでした」とだけ言っておいた。
「お前さ」
オーガは俺に背中を向けて完全に扇風機の方を向きながら言った。
「さっき電話で話した薬のバイト、やるだろ?」
何だか扇風機に話しかけてるみたいで、コイツもう既に危ない薬でもやってんじゃないの、という気持ちになったが一応平静を保っておく。
「それって何? 薬のバイトってのはつまりアレか。薬をこう、怖い人から仕入れて、その」
「馬鹿か! そんなコネあるか!」
オーガはちゃぶ台においてあったコーラのペットボトルを掴むと、自分の額にあてた。ペットボトルについている水滴で少しでも体感温度を下げようとしている。
「アレだよ、アレ、治験だよ。治験バイト」
2週間後、俺とオーガは都内の大学病院にいた。2人して治験バイトに応募し、健康な男児2名として新薬の臨床試験の検体となることにしたのである。
新薬といっても実際は既に市販されている胃薬だか何だかの後発ジェネリック薬品とのことで、俺たちがやることと言えば毎日決まった時間に起きて、昼過ぎにその薬を飲み、日に何回か採血をして、決まった時間に寝る、という生活を約10日間こなすだけだった。
その間、3度の飯は出るし、時間つぶしのためのゲ―ム機だとか漫画だとかも用意されているし、日中は所定の場所でなら携帯での通話も許されているのだ。余裕、である。というか天国に近い。
このバイトが終われば14万ちょいの金を手にすることができる。オーガが俺の家でちゃぶ台に乗ってた日から今日までの2週間、俺はオーガに借りた1万と日雇いバイトを2回することで何とか生き延びた。やった日雇いバイトは引っ越しの手伝い7500円と、夜中によくわからない工場みたいなところで何だかデカい封筒を100個ぐらいずつテープでまとめるバイト8000円。
特に封筒工場での仕事は2分経過するのが4年に感じるほどに長く苦痛であった。その場で知り合った同い年ぐらいの大学生と、最初の1時間ほどは無言で仕事していたものの、そのうちにどちらからともなく「ペイ」とか「シェア」などと奇声を上げ始め、30分ループで気が狂ったみたいに爆笑→完全沈黙→奇声タイムを繰り返していた。
朝日が窓から差し込む頃には10年来の親友のような気分になり、バイトが終わった時には携帯電話の番号を交換し「絶対飲みに行こうぜ!」とか言いながら握手して別れたが、今となっては顔も覚えていない。
とにかく、14万ゲットできたら俺は生活をもう少し立て直そう。パチスロはアツいイベントだけ行けばいいのだ。そんなアホみたいに毎日打つ必要はない。オーガに借りた金ももちろん返す。
1番やってはいけないこと、それはこの14万を早々にパチスロでなくすことだ。そんな愚挙を犯すような男はもうなんて言うか目もあてられません。14万ありゃあ2ヶ月は余裕で生きられるのだ。その間に、気が狂わない普通のバイトを見つけて、定期的な収入源を得るのだ。もしくは14万を元手にガチで固く立ち回って、パチスロでの常勝生活に突入するのだ。
俺が住んでる町だけでもスロ屋は8軒ほどある。毎日どこかがアツいイベントをやっとるんじゃ。そこらへんをちゃんと精査してヒット&アウェイの精神で美味しいとこだけ頂きますのスピリットで己を律すれば、パチスロで勝ち続けること決して絵空事にあらず。見えた。我、勝てり!
あっという間に10日が経った。体調には何の変化もなかった。毎日ちゃんとした飯を食っていたので健康そのものであるし、煙草も固く禁じられていたので吸っていない。自慰行為については特に言及されていなかったが、「言わなくてもわかるっしょ、普通にダメだよ」という空気をドクターたちが出していた。だがしかし、治験者全員が何らかの形で(主に夜中のトイレの個室で)その禁を破っていた。
14万は謝礼という形で現金で渡された。無意識のうちに早歩きになりながら大学病院の敷地を後にする。大金を懐に入れていることでニヤニヤが止まらない。オーガもニッコニコである。10日前より早く落ちるようになった陽が、もう10月に入ったことを教えていた。
「ホホホホ。どーするよ、まずは焼肉屋でも行くか」
何か脂っこいモノが食べたかった俺はオーガに提案した。オーガは「ムハハハ、悪くねぇな! でもその前に」と言って、俺に自分の右の手の平を見せた。なので俺は、「イェ〜イ」と言いながらその手を叩いた。
「いやイェ〜イじゃねーよ、金を返せっつってんの」
「あぁ、そっちか。焼肉に行くことに合意したっていうののアメリカ式のサインかと思ったから」
「いいから1万、早く」
「ハイ、ありがとうございました」
俺は1万をオーガに返済した。所持金は13万ちょいになった。
「焼肉、どこで食う? いったん新宿に出るか」
オーガは俺から受け取った1万を無造作に胸ポケットに入れながら言った。
「お前、そんな胸ポケットに金入れて、忘れんなよ!」
俺はついさっきまで俺の金だったその1万への、やや敬意を欠いた扱いを抗議した。が、無視された。
10日間もオーガと顔を突き合わせていたことになるので、できれば他のメンツも呼んで酒でも飲みたい気分だった。向こうも同じ気持ちだったのだろう。互いに何人かの共通の友人にメールを送りつつ、電車で新宿へと向かう。数少ない女友達にも声をかける。今欲しいのは焼肉のワイルドな旨味と、女の人の華やかさである。
だが、メールの返信があったのは何人かの男連中だけだった。「こんな時に女の子の1人も呼べないって、お前はなんて使えない野郎だ」と俺はオーガに言った。オーガは「それについては本当に俺も悲しく思っている、でもお前だって頑張れよ」と返してきた。俺は「うん、そうだね」と答えておいた。
他の奴らが合流するまでには時間があった。本当に、何がどうなったらそうなるのか全くもって意味不明だが、俺とオーガは特に何の相談をすることもなく新宿駅の東南口の改札を出て、長い階段を無言のまま下り、そのまま流れるように1番近くのスロ屋に入店。適当に店内をブラブラした挙句、とてもスムーズに2人並んで大花火を打ち始めた。
以心伝心とはこういうことを言うのだろう。俺たち2人には最早言葉はいらなかった。10日間のぬるま湯生活で得た14万を少しでも増やしたい。そんな、誰であろうと責めることのできない、とても自然で素朴な感情が2人の心を支配していた。
たくさんお金を持っている時は何故かペロッと勝てちゃう、という言い伝えの存在も彼らの背中を押したことだろう。ここで2万とか3万とか勝てば、今から合流する野郎ども――女性ならいざ知らず、男に生まれついたことで決して俺たちのテンションを上げることがないボンクラども――に焼肉を奢ってやることすらやぶさかではない。
3時間後、俺たちは焼肉を喰い、酒を飲んだ。だがそれはヤケ肉、ヤケ酒と呼ぶべきものだった。呼ばれたから来たのに、俺とオーガが不機嫌なので合流組は納得がいかない顔をしていた。
翌日の夜、俺の所持金は6万になっていた。何かがおかしい。爆釣で勝てない。
3日後の夜、諭吉はすでに2人しかいなかった。退院から今日までで12人もいなくなっちゃってんの。不思議でしょうがない。サミー系の機種がイベント対象台なんだから、それが取れなかった時点で帰らなきゃいけなかったのに。不思議でしょうがない。
「何サミー系をアツくするって決めたからって他の台全部クソ設定にしてんだよ、本当マジでそーゆーの主体性に欠けると思う。意外性とかいたずら心とか忘れてんじゃねぇよ、エンタメ業界で働いてる人間がよ。ダボが」と1人ブツブツ言いながら俺は歩いた。
涙で視界がぼやけるので、商店街のネオンが、雨の日の車の中から見てるかのように滲んでいた。
こうなったらこの残り2万ちょいを明日、俺が住む町の中ではなかなか見どころがあると俺を含む少数の常連だけが見抜いている(ちなみに現時点では多分全員負けてるけど)ホール、ドンダマキングの札系イベントで増やすっきゃねぇ。
牛丼太郎で牛丼・並の食券を買いながら、俺はそう決意していた。
――第一部 完――
第二部があるかはわかんねーですが、もしあったらロクロウのろくでなしライフは一体どんな感じになるんでしょうか。