藁にもすがる思い
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近年は電子マネーの普及により現金の使用頻度が落ちている。例えば小腹が空いた時、そこら辺のコンビニで菓子パンと缶コーヒーを1個ずつ買うとなると、会計は恐らく細かい端数の出る300円未満の金額となるだろう。こんな時、ワンタッチで会計が済む電子マネーは非常に便利である。

適当に1000円札を差し出しても良いのだが、そもそも金銭のやりとりに費やす時間がもったいないし、運悪く釣り銭切れなどに見舞われると余計な時間を喰ってしまう。オマケにお釣りを少なく渡されても(悪意のない単なるミスとして)確認せずに受け取ってしまうから、たとえ損をしていてもそれには絶対に気がつかない。そんなリスクに見舞われない電子マネーは現代社会の必須アイテムと言えるのかもしれない。

しかし電子マネーを利用できない店もまだまだ多い。たとえばマイホールで実戦している際に昼飯を仕入れる惣菜屋がそうで、ここでは当然現金払いにせざるをえない。わしは小銭を勘定するのが面倒なので大抵1000円札を出すのだが、その結果、小銭入れは重くなるばかりである。このようにポケットがムダに重くならない点も電子マネーの利点かもしれない。まぁ面倒臭がらずに小銭で払えば済む問題なのだが…。


ちなみにこの惣菜屋、マイホールの2軒隣に位置しているため頻繁に利用させてもらっている。会計を担当してくれる店員さんとは顔なじみになっており、長い人だとかれこれ5年以上になるかもしれない。それほどの距離感にもなると、その日のオススメ品などを知らせてくれる時に会話が生まれることがある。そんな時、恐らく彼らはわしが毎日パチンコ屋に入り浸っていることを知っているのだが、大人の付き合いでその辺りは巧妙に避けている。

まぁそれはともかくとして、古い付き合いのオバチャン店員が会計担当だと、わしの好みがバレてしまっているから、「今日は唐揚げ食べないの?」などと言われてしまう(ちなみに量り売り)。内心ではひどく唐揚げに惹かれていたりもするのだが、何気に油モノを控えようとして見て見ぬふりをしていたのに、こう言われると「あ〜、しゃ〜ないな、じゃあ2個下さい」などと意志の弱さを露呈してしまうわけだ。

しかも、「え? 3個じゃないの? もう3個入れちゃったよ!」などと言いながら唐揚げを入れた紙袋をすでに閉じているから、結局3個買うハメになる。そんなこんなでわしのデブ化は加速度を増していかざるをえない。要するに、わしの顔を見かけた瞬間に準備を始めているだけの話なのだが、さりげない押しの強さと屈託のない笑顔で場を和ますオバチャン店員の商売上手ぶりに惹かれて足繁く通っているのかもしれない。


会計の話に戻ろう。ここで買うのは、ほとんどが弁当と肉ジャガなどの惣菜との組み合わせで、分量はその日の腹の減り方次第。それでも会計は400円台から700円台のゾーンでほぼ安定している。

そんな何気ない会計時に「じゃあ444円ね」などと言わるとハッとしてしまう。パチンコを打っている時の昼食だからこの手の数字には特に敏感になっているのだろう。ちなみに、この店は量り売りが多く事前に金額を予想することは不可能で、わしも欲しかった物を適当に買っているだけだから、数字がゾロったとしてもそれらは単なる偶然の産物である。

さて、この数字が444円と666円ならば、昔の交換ナンバーのイメージが残っているから「インケツ」を引いたと思ってしまう。特に当たりが引けずにランチタイムとなった場合には、そんなレシートは「ツキの無駄遣い」としてゴミ箱直行となるのがオチ。

しかしながら、ハマリ時の555円or777円レシートとなると少々事情変わってくるだろう。その会計金額を聞いた瞬間に「ツキが回ってきた!」と自分勝手なポジティブ解釈をして、レシートを綺麗に折りたたんで財布にそっと忍ばせることになる。


このような行為を笑ってはいけない。単なる縁起担ぎかもしれないが、誰しも打つ手がない状況に追い込まれれば「藁にもすがる思い」になるものだ。

古来より伝わる「神風」という言葉などが象徴的だろう。わしも典型的な日本人だから、例えば特大ハマリなどの逆境に陥ると、つい"神風よ、わしの元へ!"と思ってしまう。

「このちっぽけな777円のレシートが神風のキッカケになるのならば…」

そんな焦燥感に駆られることはよくあることだ。


似たようなことは誰だってやるらしい。ある時、知り合いのパチプロが2000回超えの大ハマリを喰らってしまった。彼は淡々とパチンコに取り組むタイプなのだが、この時は若干取り乱したようで、「2000回ハマったからさー、カツ丼食ってきたよ」と笑いながら言っていたものだ。信念なんてそんなもんだろうと思った記憶がある。

そして、しばらくして大当たりを引くと、複雑そうな顔つきをして「これはカツ丼効果かもね」とも言っていた。彼はパチンコがそんなものではないことを充分に分かっていながらそう感じたのだ。つまりその時の彼にとってはカツ丼が藁になったというだけの話で、それ以上でもそれ以下でもない。だが、カツ丼を神風だと信じられる前向きな姿勢こそ重要なのではないだろうか? もしくは、カツ丼を食べに行った「間」が流れを変えたという考えもできなくもない。


余談ながら、トイレから帰ってきてすぐに当たったりすることが多いということは実感としてある。ただし、そういう時の印象が強く残るということもまた事実で、トイレから帰ってきて当たらなかった回数を数えていないわけだから比較はできない。いや、そんなことは知らなくても良いのではないか?

例えば、高校野球の試合では突如として流れが一変する時がある。これは「キャリアの浅い選手が激しく動揺したから」ということでおおよその説明がつきそうだが、わしはキャリアの豊富なオッサンであり、ましてや機械を相手にしているわけだから、何かをきっかけに途端に流れが変わるというのはおおよそ考えにくい現象と言える。

しかし、やはり実感としては、そのような神風的状況変化は起こるし、それは確率が織りなす「超自然力」とも言うべきものかもしれないが、如何せん操れるものでもないし、操られるものでもないわけだから、気分を変えられると思えば、その意味においては十分に役割を果たしていると言えるのではないだろうか。う〜ん…何だか良く分からない話になってしまったぞ。

さしあたって、パチンコとは単に勝った負けた以上に奥深いものだと思うことがある。ある友人は自らを自嘲して「パチンコは研究熱心な人ほどハマる」(確率に立ち向かう正統的な意味)と言っていたが、その答えは案外こんなところにあるのかもしれない。



追記
年頭の夢番付で三役候補に挙げている琴勇輝は、強力な突き押し相撲が魅力的で、「ホゥッ」という気合いの掛け声で有名な関取である。このお馴染みのシーンで掛け声前後の中継画面をバストアップで独占し、それだけ「見せ場」として中継局からも認知されているのだろう。わしも琴勇輝に関しては、勝ち負けより「ホゥッ」がどれだけ館内に響き渡るかに注目していたりする。

ところで、立合いが合わずに一方の力士が突っかけて待ったをすることがある。突っかけ方があまりにひどい場合や待ったが二度三度続くと中継マイクが審判長の怒声を拾うことがある。一例では「お前、ちゃんと合わせろよ!」とか「お前、相手見てんのか!」などである。

最近では春雄の師匠である元横綱・旭富士の伊勢ケ濱審判長の怒声が手厳しい。ただでさえいかつい顔で土俵を見上げているのだ。その顔でマイクが拾うほどの怒声を放つとなると、土俵上の力士は怒鳴られてビビっているハズだ。現に萎縮して立合いに失敗して、あっけなく負けてしまうメンタルが弱い力士も散見される。


これに琴勇輝が該当した場合どうなるのか?

彼はマイクで拾うほどの声で「すみません」と丁寧に審判長に謝り、さらに深々と頭を下げて館内から拍手をもらってしまうのだ。わしは「謝るなら対戦相手だろ?」と思うのだが、(テレビ中継を見ている限り)相手には適当な手刀を切って詫びているにすぎないようだ。こんな光景は琴勇輝でしか見たことがなく、彼はやはりメンタルが相当に強い大物なのだろう。

メンタルの強さを象徴するエピソードとして、同じように「はっ」と吠えていた千代鳳と共に「犬じゃないんだから吠えるな! やめろよ!」と力士会長の白鵬から厳命されたことがあった。このダメ出しで千代鳳は吠えるのをやめてしまったが、琴勇輝は白鵬に対して怯むことなく「ホゥッ」と現在でも気合いを入れ続けている。

究極のタテ社会である相撲界で横綱の言葉を無視することは大変なタブーなんだろうと思う。そんなポリシーを貫き通す琴勇輝には千代鳳の最高位(小結)を超えてほしい。
アツいぜ
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