チャカポコfromヘヴン
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「なんで部屋の中なのに息が白いんだよっ!!」というオーガの怒声が響き、俺は目が覚めた。

「うるせーなぁ起き抜けから…仕方ないでしょうに、冬なのだからさ」俺がそう言うとオーガはコタツの上にあるマルメンライトを手に取りながら、「ほんとお前、ロク、このオンボロアパートからさっさと引っ越せよ」と苦々しく言った。

俺はそれを無視して携帯電話で時間を確認した。朝9時半。ホールへと出発するには丁度いい時間だった。

「よっしゃ、じゃあ行くか猛獣王打ちに。というか、チャカポコに会いに」

俺はコタツから這い出て、窓を全開にして空気を入れ替えた。2月の冷気が部屋の中に入り込んでくる。「だな、行くか」とオーガも立ち上がった。

見ると、寝てる間もダウンジャケットを脱いでいなかったらしく、靴さえ履けば出発準備完了という出で立ちだった。

目的のホールは歩いて10分ほどの距離にある。このままだと寒空の下で20分弱ほど開店を待つ計算になるので、途中で吉野家に寄った。牛丼並盛280円。俺が高校生だった頃は400円だったので120円も安くなっている。デフレとかいうヤツらしい。

「牛丼の並ツユダクと味噌汁とごぼうサラダ」

「俺も」

このオーダーが吉野家では最も美しいとされている。かどうかは知らないが、俺がこの黄金のトライアングルを完成させたのは3年ほど前だったと記憶している。

高校時代はバイトもしていなかったので今よりもっと金がなく、味噌汁だのごぼうサラダだのは高嶺の花だったが、大学に入ってからはバイトをすることで少しは余裕ができ、デフレも手伝って俺は最適解に辿り着くことができた。

この公式を万人に知らしめることが公共の福祉に繋がると考えた俺は、友人たちに惜しみなく伝えた。そして俺と同様に悟りを開くに至った1人がオーガというわけである。


完璧な朝飯を食べたので、今日の勝ちは確約されたようなものだなぁ、と思いながら俺たちはホールへと歩き、客がほとんどいない店内に大音量で響き渡るF1のあの曲をバックに猛獣王のシマへと行き、2台並びで座った。

「ノリ打ち?」とオーガが訊いてきたので、「あぁ、ノリにしようよ」と俺は答えた。



何も起こらないまま30分ほどが経過した。オーガが突然、「おい、チャカポコおじさん来ないじゃん。ってゆーか俺たち以外に客が誰もいないじゃん!」と叫んだ。

「うるせえ! 急に叫ぶな!」

「あとF1!! BGMがず〜〜っとF1!!! ず〜〜〜っと!! エフ!!!! ワン!!!!」

「それは俺だって嫌だと思っているよ! セナでもキレると思うよこのしつこさは」

「ここまで客いないの? この店、いつも?」

そう言われると、確かに異常なくらい客がいない。普段もどちらかというと閑散としている方ではあるが、今日に至っては俺とオーガ以外で視界に映るのは店員のみである。

「もしかすっと、近くのホールでイベントとかやってんのかもね」

俺がそう言った途端、オーガは口元を歪めた。

「はぁ? 『かもね』って何だよ、『かもね』って。お前、ここらへんの店のイベントを把握してないのかい」

「してるワケがなかろう」

「はぁ〜〜〜ダメだ。いや、ダミだ。お前はダミダミだ。そっちの店行こうぜ、じゃあ」

「えっ…チャカポコおじさんは?」

「知るかっ!! どーでもいいんじゃ! そんなワケわかんねーおっさんなんか!! さっさと手を止めろ! 行くぞ!」

「そ…そんな。そんな悲しいこと言うなよ。チャカポコに会うのが今日の主旨なハズだろう?」

「そんな主旨あるか、そんな主旨の日は一生ないんだよ、アホ野郎。手を止めろっ!」

「いや、だって…イベントやってるかもしれない店に行ったって座れないかもよ、混んでて」

「そしたらその時に考えようぜ。まずはこの…死の匂いが充満しているホールから脱出しようぞ。ね、手を止めろっての」

そんな風に押し問答していると、俺はBIGを引いた。それを見て、オーガは「よし、そのBIGからサバチャンに繋げろ。450枚獲れよ、そしたらサバチャンもらえっから」と言いながら自分も着席し、再び打ち始めた。

450枚は獲れなかったが、BIG終了後の高確状態であろうゲームでハズレも引けなかった。もちろん、BIGの出玉があるうちに次のボーナスが引けることもなかったし、低確で引いたハズレがサバチャンに当選することもなかった。

テヘペロ的に可愛い表情を作ってオーガの方を見ると、眉間に皺を寄せながらコインサンドに金を入れていた。データ表示器を見るとゲーム数は500G近くになっていた。

「もうアレだ、天井目指すから。俺。据え置きだよな、こんだけ客いない店なんだからよ、なぁ!?」

後半に行くにつれて語気がクレッシェンドになっていく様子からして、どうやらオーガはイベントをやっている店に行けなかったことが腹に据えかねているようだった。

「そうカッカすんなって。実際、そう…お前の言う通り、天井を狙うにはうってつけの店だよこの店は。ず〜〜っとベタピン据え置きだろうからさ」

俺は爽やかな笑顔で親指を立てた。

「畜生っ! そんな店に連れてきてんじゃねぇよ…! チャカポコも来ないしさ!」

その日、チャカポコは姿を見せなかった。ついでに言うとオーガの台は800GほどハマったところでBIGを引いた。天井の夢が露と消え、BIGの出玉も蒸発してしまった瞬間の、オーガが小さい声で放った「ド糞が…」の一言が無性にツボに入って、俺は爆笑してしまった。俺の肩を強めに2発殴ってから「パチンコ打つわ」と言ってオーガは席を離れた。

俺は時々BIGを引いたりREGを引いたりしたものの、肝心のサバチャンは1度も出来ぬまま2万負けたところで猛獣王を諦めた。そして、このホールの中にある設定1ではあるがやる気に満ち溢れていそうな台を渡り歩き、最終的には4万負けた。

オーガは6万負けていた。2人合わせて10万負けなので、1人5万負け。俺たちの思い出の1ページに今日という日が登録されることはあるまい。それぐらい何も起きなかった日だった。


翌日以降も俺はその店に時々行っては猛獣王を打ったり別の台を打ったりして店長や従業員たちの給料の一部を負担していたが、チャカポコを見かけることはなかった。

そして、チャカポコの存在自体が記憶から消え、1年半ほどの時が過ぎた頃、事態はあまりにも意外な展開を見せた。



就職先を決めないまま大学を卒業した俺は、いわゆるフリーターというヤツだった。具体的にはテレフォンオペレーターというヤツで、新宿の高層ビルに入っているコールセンターのデスクに鎮座し、全国からかかってくるインターネットのコトわかんないおじさんとかおばさんに、「電源が抜けてるかもしれませんので確認して」とか「モデムの緑のランプが点滅してるか確認して」とか自分でもよく理解していないことを口走って金を得ていた。

そこでは2時間ごとに20分の休憩を取ることが許されていた。20分と言われても。微妙である。喫煙室で煙草を吸ったところで20分もいらないし、どこか外に出てメシを食うには短い。そもそも、守秘義務がどうたらで職場は入るのにも出るのにも1日限定で付与されるIDカードが必要だったため、バイトが終わる時間まで職場の外に出る者はいなかった。

そうなると、喫煙室の前にあるラウンジのようなところで所在なさげに椅子に座ってジュースを飲む、ぐらいしかやることがなく、ジュースの成分表などを熟読して時間を潰すのにも限界がある。そこで俺はトゥンに薦められた『深夜特急』の文庫版を持ち込み、煙草を2本吸ってからジュースを飲みつつ『深夜特急』を読んで異国に思いを馳せながら休憩時間をやり過ごすというのをルーティンとしていた。


その日も休憩室の白い椅子に座って深夜特急を読んでいると、突然「いいっすよね〜沢木耕太郎」と声をかけられた。顔をあげると日焼けした短髪の、同い年ぐらいであろう長身の男がニコニコ顔で立っていた。

「あっ…あぁ、これしか読んだことないけど…」と俺は返した。年齢が近そうなヤツにはタメ口で話しておいた方が友達になりやすい、ってのが俺の持論である。

「『テロルの決算』もイイらしいよ」

「らしい? 読んでは……?」

「ない」

いきなりの共同作業でひと笑いを作ったことで俺たちは一気に打ち解けた。「ホンダです」と向こうは名乗り、俺も名乗った。そして、ここでのバイト歴の話やら何やかやと雑談をしているうちに休憩時間は終わった。

終業時間になり、オフィスからゾロゾロと吐き出される大量のフリーターたちの群れの中の1人として俺も歩いていると、後方から駆け寄ってきたホンダに声をかけられた。

「もし時間あるならさ、軽く飲まない?」

ホンダはお猪口を傾けるような仕草で魅力的な申し出をしてきた。コイツとは気が合いそうだな、と思っていた俺は快諾した。財布に1万ぐらい金があるからこその快諾でもあった。


駅の近くの居酒屋に入り、ビールで乾杯をした。

ホンダの話はとても面白かった。年齢は俺の1コ上だったが、経験値の差は年齢差よりはるかに大きかった。ホンダは4年前に東京の大学を中退して、友人と一緒に名古屋、大阪、福岡……と3年ぐらい転々としつつ、その土地土地でバイトをし、貯めた金で去年から1年間アジアを旅していたという。そして金がなくなったから東京に戻ってきてまたフリーター生活をしている、と語った。

2時間飲み放題の店の安酒をガブガブと飲みながら、俺たちはどんどん酔っぱらっていった。

「そういや、ロクくんは今どこ住んでんの?」

「ん? 中野。もうアレだわ、もう5年以上住んでるわ」

「えっ! 中野なの? 俺もいたよ昔、大学の頃。会ってるかもね、街で」

「ああ、マジで? まぁでも俺はパチ屋か飲み屋にしか出没しないからなぁ」

「え〜〜〜っ! パチ屋って…もしかしてパンサーとか?」

「何!? 何で知ってんの? ホンダくんも打ってた?」

「いや。打ってはない。店員してた。パンサーで」

「はぁ〜!? マジかぁ! いつ頃の話?」

意外な縁に俺たちは驚きつつ、その時代の話に花が咲かせた。俺は客としてしかその店のことを知らなかったので、店員として働いていたホンダから聞く裏話に興味をそそられた。幹部連中は設定3を最高設定と呼んでいた、とか、店長がバイトの女の子に手を出し、それを知った店長の嫁が店に来て修羅場になったとか、ワケのわからん客に皆であだ名をつけてはインカムでバイト中に爆笑していた――とか。

「いっぱい変なのいたよ、昇竜拳とか」

「どーゆーこと? 昇竜拳って?」

「ボーナス当たると身体を半回転させながらジャンプして拳を天につきあげるんだよ、嬉しさを表現してるんだろうね」

「ガハハハ、迷惑な客だな」

「笑えるっしょ? あとは…そうだな、膝ペニさん、とかチャカポコさん、とか…」

俺は飲みかけのサワーを吹き出した。ゲホゲホッと咽ながら、今聞こえてきた言葉に自分の耳を疑った。

「えっ……今、何て言った? 今…」

「膝ペニさん。膝ぐらいまでのデカチンの持ち主で、ピタピタの革パンを掃いていたオカッパ頭のお爺さん」

「そっちじゃない、そっちも気になるけど、そっちじゃなくて……今、チャカポコって言ったでしょ? 俺もその人知ってるよ、今思い出した。すごい久々に。完璧に記憶から消えていたけど、今、マジで完璧に思い出したわ!」

俺は大興奮していた。たった1度だけスロ屋で近くに座っていた不思議なおじさんのことを1年半ぶりに思い出す経験などそうあることではない。もしかしたら、チャカポコのチャカポコたる由縁がわかるかもしれない。

「ああ、そっちか。チャカポコさんね、亡くなっちゃったけどね」

亡くなった? 予想していなかった言葉に混乱した俺は、無言のまま20回ぐらい連続で瞬きをした。ほとんど知らないおっさんのことではあるが、死んだと聞くと厳かな心持ちになる。

「えぇ…ああ、そうなんだ。ご病気で?」

「うん、まぁ多分。俺も詳しくは知らないけど、なんかホラ、さっき話した不倫店長の親戚だか知り合いだかでさ、バイトのミーティングで聞かされて、すげーびっくりした記憶があるんだよね」

「そもそもなんでチャカポコなの?」

「口癖なのよ、ロクくんも聞いたんでしょ? 何かさ、話しかけるとさ、最初に絶対『チャカポコ』って言うのよ。何故? つって、皆で笑ってたんだよね」

「………」

「でも、アレよ、別にバカにしたりしてないよ。多分、何て言うか、こだわりの強い感じの人だと思うんだよね」

「…うん、それはそうかもね…俺もそんな風に思ったような気がする、なんかで気に入った言葉だったのかもな」

言葉の最後は独り言のような感じになってしまった。うっすらとしんみりした空気になり、何となく互いに無言のままだった。多分、俺たちは今、チャカポコを偲んでいるんだな――そう思った。


しかし、何かが変だった。この話は奇妙だ。どこが変なのだろう。

「あっ」

「おぉ、どうしたの?」

沈黙を破った俺に、ホンダは穏やかに問いかけた。

「えっ…あのさ、ホンダくん、猛獣王って知ってる?」

「知らない。何のこと?」

「パチスロの台。そうだよね知らないよね。だってバイトしてた頃って名古屋に行く前でしょ? 東京での学生時代って言ってたもんね」

「うん、そう」

「つまり、4年ぐらい前でしょ? そんでさ、その時のさ、バイトのミーティングで……チャカポコさんが亡くなった話を聞いたんだよね?」

「うん、そうだよ」

「俺がチャカポコさん見かけたのは、去年だよ」

俺とホンダは目を見合わせた。ホンダが口を半開きにして俺の顔をマジマジと見ている。俺も自分で話していて意味がわからなかった。

俺が勘違いしてるのだろうか? いや、でも猛獣王が導入されたのは2002年の夏ぐらいだったハズだ。今は2004年の8月、俺が彼を見かけたのは冬だったハズだから、2003年の2月頃だろう。そもそも、チャカポコさんの「ちゃかぽこ」という発言の法則を発見した興奮と猛獣王とは、俺の中では1セットである。俺がそこを間違えるハズがない。

本当にチャカポコさんは亡くなったのか、と何度もホンダに確認した。最終的には「うん、俺が勘違いしてるかも」とホンダは言った。だがその顔には、酔っぱらって詰問を続ける俺のことが面倒くさくなった、とありありと書いてあった。




居酒屋を出て、じっとりした湿気を拭うようなビル風を感じながら、俺たちは新宿駅へと向かった。埼京線に乗る、というホンダと別れ、俺は中央線に乗り、中野駅で降りた。

駅前ではアコギをジャカジャカ鳴らしながらオリジナルソングを歌っている男がいた。俺は自動販売機で水を買って、ロータリーの花壇近くのベンチに座った。何となく、ここに座っていたかった。今日のことを反芻したかった。

チャカポコさんの不思議な、しかしオチのない話をオーガにもしたかった。しかし、どんなテンションで話せばいいのか俺にはわからなかった。こんな話、怪談話でも何でもない。もちろん、悲しい話でもない。

「猛獣王が面白そう…つって打ちに来たんかな」そう1人で呟くと、クククッと笑いが込み上げてきた。

立ち上がり、アコギ兄ちゃんの前を通り過ぎる。ちょうど1曲歌い終わったところだったので拍手をしておいた。

明日は北斗でも打とうかな…。あの台も中押しだから、チャカポコさんも来るかもな――俺はそう思った。

おんぼろアパートへの道を、ふらふらと歩きながら。


【終わり】
アツいぜ
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