チャカポコという名のおじさん
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チャカポコ、と勝手に名付けたおじさんを発見したのは、とあるホールの猛獣王のシマだった。

その日、いつものように目覚まし無しで8時半頃に目が覚めた俺は、冬の寒空の下、ホール前に並ぶのが嫌だったので開店時間近くになるまで家で読みかけの文庫本などで時間をつぶし、10時15分前に部屋を出て戦へと赴いた。

中野ブロードウェイにあった軍モノを専門に扱う古着屋で4800円で買った、寒さはロクにしのげないが無駄に分厚い布地のせいで肩にかかる重量が半端ないピーコートを脱ぎ、猛獣王のシマのカド台を陣取る俺。

店内の客はまばらで、8台ある猛獣王のシマには俺と反対側のカドにもう1人だけだった。そこが映画館だろうがスロ屋だろうが、人はできるだけ少ない方が快適に過ごせるというものだ。こんな風に活気を全く感じられない場末感プンプンのホールで、相対するのは己と台だけ――まるで剣豪同士の立ち合いかの如く、集中して爆出しするのがオツというものである。

イベントなど何もやっていない店で、導入からかなり時間が経過した爆裂AT機に朝イチから座る理由、それは一言で言うならば「気分」というやつだった。タバコを吸いながらホールまで歩いてくる10分ほどの間、ふと気づけばコンクリートジャングル・東京とは真逆の、悠大なるサバンナに思いを馳せている自分に気づいてしまった……そんな日は猛獣王を打つほかないじゃない? 俺はそう思う。

外気の冷たさのせいでかじかむ指先を呼気で温めつつ、財布から抜いた金をコインに替え、吸っていたタバコを灰皿に捨て、俺は打ち始めた。




猛獣王と俺とは相思相愛の関係にあるので、少ない投資で何かしらが当たるハズである。そもそも、俺としては1万ほど使ってダメならヤメて他の台を打つ、という究極的に日和見主義的立ち回りを戦略としている。設定の看破もやってやらんでもないが、それも看破の材料がサクサクと手に入ったら…ってなぐらいのもんなんで、大負けのしようがない。愛し愛されているとはいえ節度は守る、とゆーか、ある程度ちゃんとビビリながら打つ。

これが猛獣王との正しい付き合い方である。それなのにそこら辺の機微を理解せず、恐ろしい爪と牙を持つ猛獣にバキボコにされている哀れなヒューマンが後を絶たぬとの世情、実に嘆かわしいと言わざるを得ない。

カバのリプレイ絵柄が揃い、「ギューギュー」と「ホゥホゥ」の中間みたいな音の、何の動物か判断に迷う鳴き声を聞きながら中リールを最初に止め、その中段にボーナス絵柄が停止することを願いつつ打っていると、俺の右隣の台に男が座った。

ちらっと横目でその男を見ると、そこにいたのはディズニー映画の眠れる森の美女か何かに出てくる7人の小人にいそうなおじさんだった。身長は150cmぐらいで、やけに血色のいい顔色、髭なども全然生えておらず、人の良さそうな丸顔。つきたてのお餅を俺は連想した。とにかく、「猛獣」の真逆のベクトルの生き物だった。

おじさんは俺の視線に気付いたのか、どこか緊張したような笑顔で俺に会釈した。パチスロのシマでちらっと目があったからと言って会釈をしてるくるようなヤツはあまりいなかったので少し戸惑ったが、一応俺も会釈しておいた。その際におじさんが読売巨人軍の野球帽をかぶっていることに気が付いた。見るからに年季が入っているその帽子は、おじさんの年代の人がかぶるには違和感が大きすぎた。

少し変わった人なのかな…と思いつつも、俺は再び自分の台に集中した。しかしその集中力はすぐに奪われることになった。

「ちゃかぽこ」と突然おじさんの方から声がしたので、何事かと俺はおじさんの方を向いた。おじさんは普通に打っているだけだった。聞き間違いかな、と思ってまた自分の台を打とうとすると、また「ちゃかぽこ」と聞こえた。

えっ? という表情を作りつつ、おじさんの方をまたまた見ると、おじさんは口を結んでゆっくりと猛獣王を打っている。

――ふむ。日常に突然降って湧いたミステリー。

どうやら俺の隣で見知らぬおじさんが「ちゃかぽこ」と独り言のように呟いている。少し変わった人、どころではない。

まぁそれはさておき、現時点で2回の「ちゃかぽこ」が発生しているわけだが、残念ながら2回とも口にされる瞬間を俺は目にはしていない。その声が聞こえ、そちらを向くと、おじさんは何事もなかったかのように自分の台を打っている――。まずはおじさんが「ちゃかぽこ」を口にする瞬間を目撃せねばならない。

俺はまた正面に顔を向けて、おじさんの存在を気にしてない素振りをしつつ黒目だけを可動範囲いっぱい右側に寄せ、おじさんの3度目の「ちゃかぽこ」を待った。もはや猛獣王で出すことより「ちゃかぽこ」の真相の方が優先順位が高くなっているのは言うまでもない。

ずっと顔を正面に固定しながら黒目だけを右方向へと向け続けるのは想像以上に骨が折れた。次第に目の筋肉が疲れ、一瞬目をぐっと閉じてその疲労を緩和しようとした瞬間、案の定、3度目の「ちゃかぽこ」が発生した。

畜生!! ――とすぐさま目を開いたが、時すでに遅し、おじさんは相変わらず静かに打っている。めちゃくちゃ難しい「だるまさんが転んだ」をやっているような気分だった。

よし、次こそは見逃すまい…と耳と目だけは右側のおじさんに集中しながら、ほとんど手探りでコインを入れたりレバーを叩いたりボタンを押したりしていたが、その後は何故か「ちゃかぽこ」が全く発生しなくなった。

我が身を襲った理不尽なミステリーに対する軽いイラつきと内容のくだらなさに思わず、くくくっ…と苦笑が盛れる。

「何でだよこの野郎、何で急にちゃかぽこって言わなくなるんだよ、法則が全くわからないんだよ…頼む、もう1度、もう1度だけお前の声を聴かせてくれ、お前のちゃかぽこを」

そんなことを願いながら打っているとペロッと1万円使っていた。もちろん何も起きていない。

「ちゃかぽこ」の真相の究明に至るまで、金に糸目をつけずに猛獣王を打ち続けたいところだったが、残念ながら軍資金には全く余裕がないので、俺は撤退せざるを得なかった。「ちゃかぽこ」に邪魔さえされなければ、きっと今ごろはサバチャンを消化していただろうに…と思うと、ピュアなお餅のような容貌のおじさんに腹が立ってきた。

「このチャカポコめ…」と、そんなワケで俺はおじさんを「チャカポコ」と名付け、席を離れた。


このまま何の楽しいことも出来ずに家に帰るのも嫌だったので、俺は何か打てる台はないものかとホールをグルグルとしばらく回遊していた。ホール内は暖房が効きすぎていて何だか頬あたりが熱を帯びてきたので、少し外の空気を吸いに行こうと出口へと向かった。出口へと向かう途中、猛獣王を打っているチャカポコの姿が視界の先に見えた。

チャカポコは姿勢よく背中をしゃんと伸ばして、ゆっくりと一定のリズムで打っていた。真っすぐに台と相対しているその横顔……の、口元が小さくパクパクっと動くのを俺は見逃さなかった。

「言った!!! 今!! ちゃかぽこって言った今!! 動いたもん口が!! ちゃかぽこって、絶対に!」

俺とチャカポコとの距離はパチスロ台にして10台以上は離れており、店内ではサンバが大音量で流れていたので、当然だが「ちゃかぽこ」という声自体は俺の耳には届いてはいない。だがしかし、今の口の動きは確実に「ちゃかぽこ」だった。見間違えようがない。

俺は早歩きでチャカポコの背後へと行った。チャカポコが「ちゃかぽこ」と行ってから10秒も経ってはいない。「ちゃかぽこ」という発言の発生タイミングに何らかの法則性は存在するのだろうか。それとも完全にランダムで、本人も無意識のうちに口にしてしまう癖のようなものなのだろうか。もし前者ならば、その法則は何によってもたらされるのか。猛獣王によってではないのか? その可能性を俺は考慮していたか??

俺が隣に座っていた時は、「ちゃかぽこ」発生時にチャカポコが打っている猛獣王の挙動にも目を配るという行動を怠っていた。最新の「ちゃかぽこ」が発生した今、彼が打っている台の様子を見に行くことが無意味だということはあるまい。

そう……チャカポコはもしかしたら猛獣王で“何かが起きた時にだけ"、「ちゃかぽこ」と言うのではないだろうか――。

そんな学説を胸に、俺はチャカポコの斜め後ろに腕組みで立ち、台の様子と彼を観察した。

液晶は通常時のライオンステージだった。そしてチャカポコも俺と同様に中押しで打っていた。そのまま見守っていると、2G連続で中リールの中段にチェリー図柄が止まっていることで、ボーナスは成立していないことが見てとれた。

やはり、「チャカポコ」に法則など何もないのだろうか…そう思った時だった。

中リールにリプ・ゴリラ・チェリーが停止した。

そして右リールのボタンを止めながら「ちゃか…」とだけ言った。ホールの雑音の中、その微かな声は、しかしはっきりと俺の耳に届いた。

そして、ほんの僅かに肩を落とすようなアクションをして、残りのリール、すなわち左リールを止めた。

リール上段にはリプレイが揃い、例の、変な鳴き声が聞こえる。

くくくっ…。

俺は込み上げてくる笑いを抑えるのに必死だった。

そう、謎は、全て解けたのだ。


【続く】