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- 踊る東京ギリギリス(鹿達ロクロウ)
今夜はいらないミラクルに乾杯

出したコインが全てノマれた挙句に、残された軍資金は自身の持つ2000円のみ――という危機的状況を把握したメン子は、両目をギュッと閉じてニカッと白い歯を見せた。
状況に全くそぐわない表情を見せられた俺の脳は一瞬混乱した。3秒ほど現実感を失い、その後に意識を取り戻したが、状況は言うまでもなく1ミリたりとも好転しておらず、我々はゴーゴージャグラーの前で途方にくれていた。
沈黙を破ったのはトゥンだった。
「とにかくさ、メン子の2000円で当てるしかないんじゃない? だってコレ高設定ってやつなんでしょ?」
「それはそうなんだけど、昼飯食いに行った後、メン子ちゃんから俺に交代しただろ? それから挙動が明らかにおかしいんだよ。すごいハマるし。バケばっかだし……まるで設定が変わっ……」
そこまで言って俺はハッとした。もしかして。もしかして、飯を食いに行ってる間に、鮫島の野郎、設定イジりやがったな。
はは~ん。全く、抜け目のねぇ野郎だよ。ポイントサービスで高設定を打たせるだなんて謳っておきながら隙を見せたらコレか。確かに席を外したコチラも甘ちゃんだったと言えなくもない。だが、鮫島の悪行に気づいた以上、ヤツを責めるだけで済ませるほどの甘ちゃんではないぞ俺は。
鮫島を呼び出し、設定確認をしたいと俺は伝えた。鮫島は嫌な顔ひとつせずに台を空け、なんだか台の中でカチャカチャッとやって、セグの部分を俺に見せた。
そこにキッチリ表示された「5」は、この台が間違いなく設定5であることを示していた。俺は小さい声で「すみません、ありがとうございます」と鮫島にお礼を言い、トゥンの肩をバシッと叩いて、「ほらな、ちゃんと設定5だろ!?」と言った。
これで、俺ではなく俺のツレがこのジャグラーが本当に高設定なのかを疑っている、という印象を鮫島に持たせることができたはずだ。俺が鮫島を疑っているという構図は避けねばならない。なぜなら設定5を打ってるのに負けてるからって、朝にちゃんと確認した設定をもう1回見たがっている男だと思われたら恥ずかしいからである。
もはや逃げ場はどこにもない。この台で、残り2000円で、勝利をもぎ取るしかない。俺は深く深呼吸をして、メン子に右手を差し出しながら「お金、貸して」とキメ顔で言った。
メン子はこくりと頷くと財布から2000円を取り出し俺に渡した。俺はその2枚の紙幣を右手の人差し指と中指で挟んで受け取った。追い詰められた状況でなおクールな振る舞いを忘れないのが人生という舞台で主役を張るコツなのだ。
まずは1枚目の紙幣をコインサンドに吸い込ませて、50枚のメダルを慎重に下皿へと移した。1枚たりとも床に落としたりするワケにはいかない――戦時下の食料不足で米が配給制になった時における、米ひと粒に対するような心持ちでメダルを扱う。
2000円あるとはいえ、この1000円でケリをつける――。
俺はそう固く心に誓いながら、一打入魂、裂帛の気迫を拳に宿し、ゆっくりと、時に繊細に、時に大胆に、場合によっては上からチョッピングライトのように、ところにより下から昇竜拳のように――レバーを叩いた。
その結果、何も当たらず1000円が消えた。
自分の息が上がっていることに俺は気づいた。はぁはぁ…と荒い息遣いをして、肩が上下している。なんだか肩甲骨ンとこも痛い。急に走った時に脇腹とか肩甲骨とか痛くなる感じのヤツ。
はぁはぁしながら俺の後ろで心配そうに立っているトゥンとメン子の顔を確認してみた。すると、2人の顔がぼんやりと滲んでいて、つまりそれは俺の目にじわ~っと涙が浮かんでいるということであった。
「泣いてんの!!?」と、メン子が大声で言った。
「嘘でしょオイ、泣くなよ、ロク!」とトゥンも叫んだ。
俺は本格的に悲しい気持ちになってきて、鼻の奥がギューンつって痛くなった。涙をこらえる時になるヤツだ。
パチスロで負けてホールで泣いてしまったりしたら俺、伝説になっちゃう。伝説の笑い者になってしまう。しかも設定5打って。あろうことかポイントカード偽造までして。
メン子は心底気の毒そうな顔をして、俺の頭を撫でた。俺は自分が7歳ぐらいの子供になったような気がした。トゥンの表情は、「苦笑い」と辞書で引いたらそこに挿し絵で描かれていてもおかしくないぐらいの苦笑いだった。それを見て俺は少し冷静さを取り戻した。
「どうしよっか?」
俺は2人に尋ねた。
2人とも意味がわからない、という顔をしていた。
「どうする? もうヤメようか」
俺は続けて言った。
4秒ほど不思議そうな顔をした後、俺の言わんとすることを理解したトゥンが弾けるように笑い、俺の両肩を掴んで揺すりながら言った。
「えええっ!!? 最後の1000円だけ残してヤメるってこと!? 1番意味ないよソレ!!!! 今さら感がカンストしてるよロク!!! なんでココに来て日和るのよ。日和るとしたら超遅いっつーの!!! おまえ…嘘でしょ、ダメだ、面白すぎるだろワハハハハハハハ」
眼からは涙が出ているが、トゥンの爆笑につられて俺も何だか笑いが込み上げてきた。くへっへひぇ。と、やや気持ち悪い笑い方をしながら涙とか鼻水とかでぐちょぐちょになった顔を手で拭い、正真正銘ラスト1000円をサンドにブチ込んだ。
この最後の1000円が奇跡を呼ぶことなどない。そんなことは百も承知だった。映画だったらもうスタッフロールが流れているところである。ここから大逆転が起こるだなんて、俺もトゥンもメン子も、誰1人として思っていない。だが、俺たちは有り金を使わなければならない。それがけじめというものだろう。それが誠意というものだろう。
最後の3枚を使い切り、俺たちの戦いは終わった。
俺はトゥンとメン子の顔を無言で見た。2人もお互いの顔と俺の顔を無言で見ていた。それぞれが戦いの終了に納得したかのように静かに頷き合い、大きく息を吐いた。
なおも無言は続いていた。俺は席から立ち上がり、下皿に置いてあった携帯電話とマルボロの箱、そしてライターをゆっくりとジーンズのポケットに収納していった。その様子を周囲で客が見ていた。周囲の客が「えっ、設定5のジャグラー、ヤメんのかよ!?」と心の中で思っているのが手に取るように分かった。
そうだよヤメるんだよ。俺たちの手に負える相手じゃなかったんや。
リアルボルテージのノビタにお仕置きをしてやろうと誓った日から、長い年月が経ったような気がしていた。紆余曲折ありまくったが、敗北したのだ、俺は。ミラクルは起きなかったんだ――。
トゥンとメン子がホールの出口へと向かって歩いて行く後ろ姿を俺は眺めていた。そして意を決して台から離れようとした、その時だった。
「ヤメるのですか、それ」
ふいに背後から声をかけられた。
設定5のジャグラーが空き台になるのだから、それを狙う打ち手がいることは容易に想像できる。そしてきっと、後任者はそこそこ大量の出玉をせしめるのだろう。俺はカマを掘られるってワケだ。
ああ、いいともさ。打つがいいさ。悲しみも怒りもすでに俺の中にはないよ。
「ああ、うん。ヤメる」と言いながら振り返った俺は、そこに立っている男の姿を見て驚愕した。
濃い眉毛、見事な角刈り――そこにいたのは健さんだった。
王将でダントツに美味い餃子を焼く男、健さん。
健さんは、俺が頻繁に王将に行っている常連であることに気付いてはいないようだった。ニコニコしながら「じゃあ、打ってもイイ?」と俺に訊いてきた。
その口調を耳にして、健さんの日本語がネイティブではなく、おそらく中国から来たのであろうことがわかった。勝手に心の中で「健さん」などと呼んでいたが、俺の念頭にあったのはシブい日本人代表「高倉健」の「健さん」だったのだ。まさか中国系だったとは…やはり同じアジア人、見た目じゃわからんもんだ、と俺は思った。
あれだけ美味い餃子を俺に食わせてくれたアナタになら、設定5のジャグラーを喜んで譲ろう。大陸からこの島国にやってきて勤労青年として生きるアナタに、出玉という祝福があらんことを……。
俺は台を譲り、その場を去ろうとした。すると、健さんの同僚らしき男がやってきて、健さんに近づきこう言った。
「おおっ、設定5確定台じゃん。いいなぁ~健さん!」
………?
………今、なんと?
彼の名前、ほんとに健さんなの?
俺はその場で立ちすくみ、健さんと呼ばれた中国人とその同僚の会話に耳をすませた。
「うん、あの人がヤメただからさ」
「ええっマジで!? 何で!? 設定5なのに…!」
「わからないだけど、お金なくなちゃたでしょう」
「ああ~ありえるね……かわいそ、ま、健さんいっぱい出してメシでも奢ってよ」
「勝たらネ。奢ってあげる」
俺は彼ら2人のもとへと歩を進めた。きっと恐ろしい形相をしていたに違いない。近づく俺に気付いた2人は少し怯んだような表情を見せた。
「あのさ、アナタ、健さんって言うんですか?」
「えっ?」
2人はポカンとしていた
「アナタ、王将の店員さんですよね? 健さんって言うの? 名前?」
「あっハイ、健と言います。張健明(ちょうけんめい)です」
「へぇ~~~すごい。いや~~ミラクル」
俺はニッコリと健さんこと張健明さんに笑いかけた。俺が勝手に名付けた「健さん」という名が本当に本人の名前の一部で、あだ名としてはまさかの完全一致……ミラクルである。いらないミラクルである。
呆気に取られている健さんたちを残して、俺はホールを出た。

ホールの外では、トゥンとメン子が電信柱の近くで肩を寄せ合いながら俺を待っていた。2人の手にはホットの缶コーヒーがあった。飲み口からは白く湯気が立っている。
2人は俺の分のコーヒーも買ってくれていた。手渡されたホットの缶コーヒーはちょうどいい熱さになっていた。
「ん? ロクくん、何笑ってるの?」
メン子が不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「あぁ、いや。コーヒーありがとう。乾杯しよう。負けたけど、ちょっとしたミラクルがあったんだわ今。死ぬほどいらないミラクルだけど」
俺たちは乾杯した。
俺は温かい液体を胃に送り込むために缶を呷り、そのまま曇天を見つめた。
【続く】