【第2部】第8話
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公園のベンチに栗谷は腰を下ろした。外灯のせいで金髪がよく見える。直人は座らず、栗谷の前に立っていた。

「久々やな~この公園」

栗谷は答えない。眉間に皺を寄せながら、直人とは目も合わせない。直人は構わず続けた。

「小6でお前が福岡引っ越すまでは…この公園で毎日遊んでたもんな」

それに対し、栗谷が鼻で笑いながら言う。

「はっ。昔話しにきたんか? 懐かしいな~ってか?」

「栗谷、お前やりすぎや」

直人は真っ直ぐに栗谷を見ながら言った。

「お前が去年、福岡からコッチに戻ってきた時、俺は正直嬉しかった。福岡で何があったか知らんけど…」

「うるさい! 殺すぞ!!」

直人の言葉を遮り、栗谷は立ち上がりながら叫んだ。

「聞け! K商業のヤツらなんか、誰もお前のこと友達なんか思ってへんぞ、怖いだけや、お前に逆らうのが!」

「だから何やねん、俺は誰も信用なんかしてへん! 駒や駒!」

「何がしたいねん、暴れるだけ暴れて!」

気がつけば互いに胸倉を掴みあっていた。互いの白い息が顔にかかる。

「関係ないやろ、直人…もう関係ないんやろ? お前も一緒じゃ。幼馴染みたいなツラしてるけどな、学校辞めて、S工業側に回って……俺から離れようとしてる!」


その時だった。懐中電灯の光が直人の視界に走った。直後、野太い声とともに2人のガッチリとしたスーツ姿の男が現れた。

「ちょっとエエか」

突然の出来事に、直人と栗谷は反応できずにいた。その間に2人組は栗谷の両脇に立ち、挟み込む形になった。懐中電灯を持っていない方が言う。

「確認させて。お前、栗谷やな」

警察だ。間違いない――。

「栗谷真司か?」

マズい、私服警官や。直人は自分の身体が強張るのを感じた。

「栗谷真司やな?」

警官のうち1人が栗谷の腰辺りを掴もうと手を伸ばした…が、栗谷はその手を払いのけた。

「暴れんなコラ!! 栗谷やろ、お前!! ちゃんと返事せんかっ!!」

そう言って表情が急激に険しくなった警官たちが栗谷の首根っこを掴もうとした。その動きと同時に栗谷も狂犬のような大声を張り上げる。

「触んなやオラーッ!!」

栗谷は警官の手を振り払い、突然身を屈め、その勢いのまま猛スピードで走り出した。2人の警官も即座に追いかける。栗谷はあっという間に公園を突っ切り、背の低い植木を一飛びで越えて、暗い住宅街の方へと逃げて行った。

「お前!! お前はちょっとそこにいろ!!」

走りながら警官の1人が振り向き、立ちすくむ直人に叫んだ。栗谷を追いかける警官の走り去る方向を見つつ、直人は逆方向に走り出した。

栗谷は逃げ切る――直人は何故か確信していた。走りながら、栗谷の逃げた方向に迂回して近づけば、栗谷を発見できるだろう……そう直人は考えていた。


30分ほど、走ったり歩いたりを繰り返しながら夜の住宅街をウロつく。走ったせいで身体は熱を持ち、冬の寒さを感じなかった。ある道の角を折れた時、直人の目に懐かしい風景が飛び込んできた。それは栗谷と一緒に通った小学校だった。

直感だろうか、栗谷がココに潜んでいる気がした。直人は校舎裏の非常階段の方へ回り込み、一段一段、ゆっくりと昇りはじめる。自分の足音をなるべく立てないように静かに昇っていると、頭上から階段を駆け上がるような物音が聞こえた。

「栗谷、俺や! 直人や! 警察はおらんから逃げんでエエ!」

その声が届いたのか、勢いよく駆け上がっていた足音はピタリと止んだ。直人が駆け上がってみるとそこには身を潜めるように栗谷が座り込んでいた。荒い息を整えるように、栗谷の肩は大きく上下していた。

直人がふと足元を見てみると、栗谷は裸足だった。走るのに邪魔なサンダルは途中で脱ぎ捨てたのだろう。

「栗谷…お前、アホやな…」

警官から逃げたことも、冷えたアスファルトや冷たい鉄製の非常階段を裸足で駆けたことも、その前にやらかした色んなことも……直人は栗谷に対して、そんな風に声をかけることしかできなかった。

直人はタバコを1本くわえて、その箱を栗谷のほうに突き出した。

「……」

栗谷は無言で直人のタバコを奪い取った。直人は100円ライターを取り出し、栗谷と自分のタバコに火をつけた。

「栗谷……お前、中学時代、福岡で何があってん。お前は小学校の頃からやんちゃやったけど、こんな無茶するヤツちゃうかったやろ」

「………」

栗谷は黙ってタバコを吸っていた。直人はそれ以上は言葉を発しなかった。互いにタバコを吸い終わるまで、一言も発しない。冬の寒空は暗闇を深くしていく。


――栗谷真司。

小学生の頃まではそれなりに裕福な家庭で育つ。小学校を卒業するタイミングで、父・母とともに福岡へと移住。父親が新事業を興し、福岡に工場を建てることになったためだ。

しかし、工場建設の途中で、父親が用意していた資金を仲間に持ち逃げされてしまう。残ったのは建設途中の工場と莫大な借金。絶望した父親はその建設途中の工場内で首を吊って自殺。母親は精神的に病んでしまったあげく、栗谷を残して行方不明に。

その後、栗谷真司は養護施設に預けられる。だが、自暴自棄になった真司は13歳という若さで喧嘩や窃盗に明け暮れる日々を過ごす――。


栗谷の福岡での不幸な暮らしは警察の一部では情報として共有されていたが、直人は栗谷の境遇について噂しか聞いていなかった。

とにかく栗谷は両親とは住んでおらず、大阪に戻ってからは親戚である叔母の家にやっかいになっている……。その叔母のアパートは小学校時代の栗谷がよくいた場所だったし、俺もよく遊びに行っていた。

大阪に戻ってからの栗谷は、狂暴そのものだった。自暴自棄という言葉がぴったりの日常を送る栗谷に対して、直人は悲しさと怒りを覚えていた。

「俺にぐらい話してくれてもええんちゃうか?」

栗谷は黙っている。直人はさらに言葉を続けようと、栗谷の顔を見た。

その時だった。俯いてタバコを吸っていた栗谷の表情が険しくなり、何かを警戒するようにある方向を睨んだ。つられて直人もそちらに視線を向ける。非常階段から見下ろせる位置、学校の敷地の一角にある用務員宿舎の扉が開いた。ガチャっという音とともに懐中電灯の光がせわしなく動いていた。思わず息をひそめる。

サーチライトのように直人たちがいる非常階段の方に光が向けられた。距離的に向こうから見えるハズはないが、あきらかにコッチを気にしているようだった。

栗谷は無言のまま猛烈に階段を駆け下り始めた。直人も栗谷に続く。そのまま猛ダッシュで校庭をつっきり、学校の敷地の外へと飛び出した。

「もう付いてくんなや直人!!」

走りながら栗谷ががなった。

「どないすんねん、お前これから!!」

「ほっとけや!! アテぐらいあるわ!!」

「オバさんのアパートなんか帰ったら、警察待ち伏せしてるぞ」

道端にポツンとある電話ボックスの近くで、栗谷は止まった。ポケットからジャリ銭と何枚かの紙切れを取り出し、その丸まったり折りたたまれたりしている紙切れを確認しはじめた。

直人は肩で息をしながら「何してんねん」と栗谷に聞いた。

「あった、これや」

「それが…アテなんか?」

「そうや。こないだ八幡の奴と揉めてな、ボコボコにしたってん。そしたらソイツの先輩ってのが出てきてな~。なんか知らんけど、その人にめっちゃ気に入られたんや、俺」

「……」

「何かあったらいつでも連絡してこい言うてな。ヤクザとかにも顔利くみたいやし」

「アホかお前!! そんなどこの馬の骨か分からんようなヤツと関わるな!!」

「うっさいわ、お前。もう消えろや」

そういって電話ボックスに栗谷は入った。電話ボックスの扉が閉まった瞬間、直人は悔しさと情けなさが爆発しそうになった。

そして、栗谷に背を向け、その場を走り去った。