- 嵐のハードボイルド人生相談 第二章
- 苦痛の対極|嵐|パチスロ
生きている意味を見出せないです。
鬱なうえ、事故で身体がダメで、もう年齢的にも人生が詰んでいます。生きていることが苦痛です。普通の仕事にも就けない状態です。
頼まれてステマしたアイドルが売れたのにお礼すら言われません。人間なんて糞以下ですよね。利用価値が無くなれば簡単に切り捨てる。
自分を利用していた奴等は家庭を持ち、幸せそうに暮らしてます。憎しみしかありません。雇ってください。
■粗方先生のお答え
利用価値がなくなれば切り捨てられるのは、我々の稼業もそうだが、どんな仕事に就いていたとしても、いまは同じじゃないだろうか。
だから、なんとか自分に利用価値を見出してもらおうと、みな日々を足掻いている。
俺もこれまで、何度も怖い夢を見てきたよ。自分が突然切り捨てられて、明日をも知れぬ我が身になる夢を。
その夢から覚めるたびに、心臓は太鼓のように脈打ち、滝のような汗をぼっしゃりと掻いている。
取り分け、俺たちの稼業はキリギリスだ。未来を切り売りして、享楽の現在を生きている。ひとたび冬が来たら野垂れ死ぬ運命だ。
その事実を、自分が潜在的に嫌というほど分かっているということを、あの悪夢は定期的に俺に教えてくれる。
だから、なるべく冬が早くに訪れないように、目の前のことを自分の持てる力全てを出しきるくらいのつもりで、精一杯勤めあげようとする。
楽して生きたくてキリギリスの道を選んだのに、気付けば働き者のアリよりも窮々と生きている。なんとも滑稽なものだよ。
そして、そうまでしてもいつかは訪れてしまう冬…抗うことのできない破滅の未来の足音が近づくことを聞きながら生きていくことは、とても不安で苦痛だったりもする。
…だが、まあ実際のところは、この世にキリギリスもアリもなく、みんなそうなのだと思う。おそらく誰もが、心になんらかしらの不安や苦しみを抱えながら生きているハズだ。
美男も美女も、成功者も富豪も、おしなべてだ。
きっと、お前の周りにいるという、お前を利用して切り捨てたという奴らも、また誰かに利用されながら生きているのだ。そして利用価値がなくなったら、やっぱり切り捨てられる。
その分かりやすい例が、定年制度だろうな。営々と会社に貢献してきた人間なら、死ぬまで面倒を見てやればいいじゃないか。それが人情ってものだろう。
だが、実際は労働力が低下したと判断された時点で、にべもなく会社を放り出される。…そう考えたら、お前がされたことと同じようなことを、世の大多数の人間が、それも最も真面目に生きてきたとされる人間たちが、されていると思わないか?
それがいまの社会なのだよ。
そして、そこで紡がなければいけない人生は、矛盾と理不尽、そして苦痛に満ち溢れている。
でも、それでも人は生きるのだ。なぜなら苦痛の対極にこそ、生きる喜びは見い出せるものだからだ。
例えば空腹は苦痛だ。でも空腹は最大のスパイスでもある。空腹のときにかっこむ白メシは、何よりも美味い。そこに生卵と醤油でもあれば、どんな着飾った高級料理だろうと到底かなわない、至高のご馳走となる。
これがおそらく誰しもの身近にある、苦痛の対極にある人生の喜びだ。そして苦痛の先にこそ、何物にも代え難い真の喜びがあることを知れば、この"重き荷を背負いて遠き道を行くが如しの人生"にも、なんとか耐えられるようになる。
だから小僧、お前もその喜びを知れ。
いまは心身共に、俺が想像をするのもおこがましいくらいに辛い状況のようだが、まずはそれを改善する道に、もう1度チャレンジしてみろ。
俺も前職がとてつもなくブラックでな。おそらく精神的にも病んでいたし、実際に体も病んだ。
過労で駅の構内で倒れたこともあったし、そんな生活がたたって、免疫力が極限まで低下していたときに、予防接種をした大人は滅多にかからないと言われている「はしか」にかかって、生死の境をさ迷った。
実際に、病院に行くのが3時間ほど遅れていたら、死んでいたと医者に言われたよ。
そして、あまりに症状が重すぎたので、新種のウイルスに感染していることも恐れられて、入院することも拒否された。
そこから1ヶ月あまり、人並みの生活を送れるようになるまでは、まさに地獄の苦しみだった。あまりに辛すぎて、いっそ病院に行くのが遅れて死んでいれば…と、悔やんだほどだ。
だが、その圧倒的苦痛の先には、自分の体が徐々に回復していく…という、何物にも代え難い喜びがあった。
喉にびっしりと現出した発疹が痛すぎて、満足に唾すら飲み込めなかった症状がようやく改善されたとき、ゴクゴクと喉を鳴らしながら一気飲みした水の筆舌しがたいほどの美味さ。
顔中を覆ったカサブタが全て取れたときには、涙が出るほど嬉しかったし、まるで自分が生まれ変わったかのような感動すら覚えたよ。
そしてそのときに、本当に死ななくてよかった、生きていればこんなに身近に幸福を感じられることが多々あるのだ…と学んだよ。
出来ればお前にも、そんな苦痛の先にある真の喜びを知って欲しい。俺にはこうやってエールを送ることしかできないが、決して捨て鉢にはならないでほしい。
自分には利用価値がない…とされた苦痛、だがそれを乗り越えて、いつかその対極にある「真に誰かに必要とされときの喜び」を感じたとき、世の中はきっと全く違った色に見えるハズだ。
その色は、絶対に糞色ではないハズだぞ。
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