私はギャンブルの英才教育を受けたサラブレッドと言っても過言ではない。
以前、パチスロの方のコラムにも書いたが、幼少の頃から私は競馬・競輪などの公営ギャンブルの予想をしてきた。まぁ、予想というか、厳密に言うと好きな数字を2個言うだけだけど。
そんなカイザー少年はすくすくと元気に育ち、小学6年生になった頃には卒業アルバムの企画にあった「1億円あったら何に使う」という質問に対して、


「競馬に全部つかう」と答えてしまうほど立派に成長した。ホント、タイムマシンがあったら「子供にギャンブルさせるなよ」とガチで父を説教したい。
さて、私が競馬に目覚めたのは高校生の頃だ。もちろん、本物の競馬ではなくゲームだ。知る人ぞ知る競馬シミュレーションゲーム『ダービースタリオン』シリーズにズッポリとハマった。インブリード、アウトブリード、ニックス…色々な競馬用語を覚えて、頭の中は常にお馬さんのことばかり。
そんな私が成人したら競馬をしないハズはない。当時はまだ20歳以上でも学生は馬券を購入できないという規定があったけど…ごにょごにょ(2005年の法改正で、今は20歳以上なら学生でも競馬をしてOK)。
その頃は自由にできるお金が少なかったので、今のような大勝ちor大負けのような破天荒スタイルで賭けることはせず、堅実に捨て身の覚悟で財布を空にして挑んだものだ。
皆は知っているかい。使っちゃいけないお金でギャンブルをして、勝ったときの喜びを。アレは本当に気持ちイイよ。
(注)良い子はマネしちゃダメよ。
そんな悪い意味で常に全力勝負をしていたら、当然、いつかは力尽きる…と思いきや、何とか耐えていた。まぁ、当時は今以上に交友関係が狭かったので、出費があまりなかったというのが大きい。
そのような生活をしていたが、土日勤務の職場に就職して一変。競馬をする機会が減って、休みの日(平日)はパチスロすることが多くなった。お金を使う暇がないという激務な職場だったので、懐事情は大幅に改善され、財布に10万円入れて初代ミリゴと勝負をしていた。
不満はあるけれど、お金は貯まるから…と黙々と仕事をしていたが、上司や先輩が次々と身体を壊していく様子や、目の前で上司が倒れる姿を見て、「あ…ここに長居しちゃダメだ」と悟って退職。
その後、少しの間なんちゃってスロプロ生活を始める。当時は数値やゾーンを知っているだけでそれなりに勝てる時代だったので、今は「負け組代表」の烙印を押されている私ですら、信じられないかもしれないが、月にうん十万円プラスになっていた。ミリオン勝ちしたこともあった。
だが、事件はホールではなくウインズ(場外馬券場)で起きた。何を思ったのか、私は朝から最終レースまで馬券を買い続けて連戦連敗。気付けば20万円負け。なんで終日勝負をしたのか、まったく覚えていない(パチスロで勝っていたから調子に乗っていた?)。そして、「ああ、私には競馬の才能がないな」と悟り、競馬からの引退を決意。
その後、専門学校に通ったり、家業を手伝ったり、紆余曲折あってスロライターに転職。
相変わらず競馬をするつもりはまったくなかったが、2016年夏に特別企画「人生最大の大勝負」というテーマでコラムを書くことになって、約10年ぶりに競馬勝負。
(注)プロフィールに「20年ぐらい前に20万円負け」と書いてあるが、「10年ぐらい前」が正しい。私が書き間違えしていた。
その結果は当時のコラムに書いた通り、
総投資…18万6000円
総回収…17万6600円
-9400円でフィニッシュ。
これでヤメておけばイイのに、私の中に眠っていた闘争本能に火が付いたのだろう。しばらくして再戦。そこで万馬券をゲットして、

63万5000円の払い戻しがあったのが運の尽き。旨みを覚えたらヤメられないのが人間というものだ。
プラス、KEN蔵氏という競馬仲間ができて、より競馬が楽しくなったのも競馬沼から抜け出せなくなった原因だ。
そして、現在に至る。


豪快な払い戻しがある一方、投資額もまた豪快。
果たして、今年の競馬はどうなるのか。とりあえず、競馬部での予想が一度も的中していないので、そろそろ当てたいものだ。