待ち焦がれたJリーグが開幕し、我が横浜FCは最重要旗艦試合であるところの開幕戦に見事勝利! めでたい限りです。
あの人の誕生日とかで報道が凄かったんですが(ちなみに筆者は同い年)、そんなことよりこれまで勝ちがなかった相手を倒したことが実に嬉しいですね。最初に戦った天皇杯の時は散々な目に遭いましたから。あの時は居残りで文句を言ってたせいで、予約していた&楽しみにしていたホテルの夕食にあぶれるという嬉しくないオマケまでついて良い思い出がなかっただけに。
そんな余談はさておき、敗色濃厚になると打ってしまう機種ってありますよね? サッカーなら、トーナメント戦のような「負けたら終わり」の状況で、ゴールキーパーまで前線に上がってきて数的優位を作って捨て身の作戦に出ざるを得ない…といったところでしょうか。
今のパチンコで言うと、ライトミドルとか羽根デジでまったりと遊ぶつもりだったのに、気付けばタイガーマスクとか牙狼に座っている…みたいなことですが、「とにかく負け分を挽回したい!」となると一発が期待できる機種を打たざるを得ないわけです。その時点で既にやけっぱちとも言える状況なんですが、20年前のそんな時には3回権利モノ打つのが筆者の定番でした。
いわゆる「権利モノ」は、旧規則上では第3種に分類されるカテゴリーでありました。他にデジパチが第1種、羽根モノが第2種とカテゴライズされていましたが、2004年の現行規則になってからは種別が撤廃されています。その後はデジパチと羽根モノ(V当たり)のハイブリッド的機種が1種2種混合機だなんて呼ばれるところに名残を残していますが、自由度が高い機種を作れるようになった点で良くなったのかなと。しかし似たようなゲーム性を再現した機種はあっても、権利モノらしい権利モノは登場していません。
さて、そんな権利モノの代表格とも言えるのがミルキーバー(1995年)で、デジタル揃い確率が1/329の3回権利モノとなっています。3回権利というのは今で言う確変3回リミッターと同義で、初回権利獲得後はデジタル揃い確率が10倍アップし、後2回の権利を獲得するまで継続するというもの。
厳密に言うと、デジタル揃い後にVゾーンに入賞させて初めて大当たりとなるわけですが、玉切れでも起こさない限りVゾーンへは確実に入賞するので、デジタル揃い=権利発生というのが基本です。
さらに1回の権利で払い出し2400発が得られるので、途中の打ち込み分を差し引いても約6000発が獲得できるということで、一発逆転狙いにはうってつけ。2.5円交換でも一撃1万5千円ですから、それまでの負債を大きく減らすチャンスなわけです。
また、当時はコーナーによって営業方法が異なることが一般的だったんですが、この手のタイプは1回交換が多かったため、ストレスを感じるほど回らないということもなかったんですよ。
こんな風に書くと非の打ち所がないように思っちゃいますが、もちろん注意すべきポイントもあります。それはヘソが通過チャッカーであるということ。ミルキーバーの場合にはヘソがまんまの通過ではありませんが、そのまま盤面左下から出てきて、その下にあるポケットに入らなければ賞球はゼロということに。
だからこそ甘いスペックを実現できたという部分はあるのですが、とにかく玉持ちが悪かったです。
ちなみに、今回久しぶりに打ってみたら、大ハマリしたあげくにタイムアップで当てられませんでした…。
何にせよ、こういった3回権利を最初から打つことはほとんどなくて、色々打ち散らかした後にフラフラと座ることがほとんど。だから財布の中身も少なく、それを全部使う覚悟で打ったものでありました。
当然、閉店間際に当たることも珍しくはないんですが、あの頃は保障というものが当たり前だったので、当てさえすればいかなる状況でも約6000発=3箱分の出玉が自動的に貰えたんですよね。だからギリギリの時間でも最後の最後まで突っ込めたし、そこで当日の晩飯代と翌日の軍資金がゲットできたりと、なにかと助けられた記憶がよみがえります。
もちろん毎回毎回上手くいくはずもないわけで、基本的には最後の百円まで突っ込むことの方が多いわけですね。しかもタイミングの悪い時などは最後の最後、玉を完全に打ち終えた後にデジタルが揃ってしまうことも。そうなるともう大慌て。デジタルが揃っても、Vゾーンに玉を入れない限り権利は消滅してしまいますから。いくらVゾーン入賞が容易といっても玉がなければどうしようもありません。
そんな時は隣の人にお願いして、一掴みの玉を分けてもらうのが暗黙のルール。隣が「分かってる人」なら、こちらから頼む前に玉を分けてくれることもあり、もちろん返すときには倍返しでというのがマナーでした。
そんなやりとりは今ではほとんどありませんが、ホールの外では全く接点がない者同士の妙な連帯感があったのが当時の客ってもんだったんですよね。ましてや素寒貧になってからの人の優しさには、本当に人情というものを感じました。
小奇麗になって環境面では劇的に良くなった今のホールが、それでもなんだか居心地が悪いと感じるのは、客も、そしてホール側からもそんなところが失われてしまったからなのかなぁと思いますが、皆さんはいかがでしょうか?