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- パチンコひとり旅(Q太)
転機は転がったらやって来た
2012年5月末。
それは間違いなくいつもの日常だった。スポーツ店での卓球のインストラクターの仕事をそつなくこなし、18歳からハマっている趣味のロードバイクで帰宅するというルーティーン。
ちなみにロードバイクっていうのは、簡単に言えばタイヤがめちゃくちゃ細い自転車のことで、めちゃくちゃスピードが出せて爽快なんです。仕事の後で疲労困憊でも、これに乗って風を受けて走っていると疲れも気持ちもちょっとだけほぐれます。そんなわけで、たまにルートを変更したり遠回りしたりと"チャリ通"を満喫していたわけです。
この日は普段通らない明治通りから帰ろうとふと思ったんですよね。見慣れない風景を見たかったっていうのもあるけど、iPhoneをカーナビ代わりに使うと細かい裏道まで示してくれるので、色んな発見があって楽しいんです。ということで、ナビアプリで明治通りを中継地点に設定して自宅を目指しました。
20分ほど走ったところで明治通りに合流。そのままナビの示す方向に進んだのですが…車通りが少なかったので、ちょっとした時間短縮のために反対車線へと切り替えることにしました。つまり逆走です。
反対車線で危険ではあったんですが、ロードバイクの快走で気持ちよくなっていたし車通りが少なかったことに気を良くし、視界の悪い大きなカーブに猛スピードで突入しました。
…と同時に、僕の時間は止まりました。
気付けばICUで、ここから全治1ケ月半という入院生活を余儀なくされます。生きるか死ぬかは紙一重だったと、後でお医者さんに言われた時は、流石に身の毛がよだちました。
ひとまず長期入院確定となったわけですが…僕、入院生活というのは初めてだったんです。噂には聞いてたけど、とにかく暇なんですよね。本当に暇で暇で。窓からの景色も毎日見てれば飽きちゃいます。あまりに暇なので、暇潰しに暇を潰す方法を色々と探す始末。簡単なところだとテレビだけど、お金を払わないと見られなかったので、貧乏性の僕にはなかなか気が進みませんでした。
何もすることがない~と、いよいよ悶々としていた折、おとんとおかんが大量の雑誌と漫画を持って見舞いに来てくれました。いやー、グッドタイミング。さすが両親、わかってらっしゃる。ひとまず暇を潰す糧を得たので、連日、喰い入るようにそれらの雑誌と漫画を読み漁り、なんとか入院生活をやり過ごしていました。
そろそろ、この長い前置き必要か!? って思ってちゃいますかね。いやいや、まさにここに出会いがあったんです!
入院中は看護婦さんとモフモフ…なんてことは一切なかったんですが、両親からの差し入れの中に、スロットの旅打ち漫画があったんです。内容を簡単に言うと、借金の600万円を旅打ちしながら返済するというものですが、そこに描かれる日々の戦いは、入院中で外出の出来ない僕にとってもの凄く刺激的に写りました。
読み進めているうちに、自分も"パチンコで稼いだお金だけで全国を回る旅をしてみたい"という思いが芽生えていきます。まぁそんな簡単なことではないですけど、入院生活のおかげでひとつ大きな夢ができたのは収穫(?)でした。
そうこうしているうちに無事に退院を迎えます。回復が思った以上に早かったようで、予定をかなり前倒しできました。晴れて自由の身となり、外へ出てまずは久々の深呼吸。空気って美味しいんだぁと、この時しみじみと感じましたよ。
…一方で一抹の寂しさも。この時は全国を旅打ちで巡りたいという思いに浸食されていますから、これからまた日常に戻るのか…と思うと複雑な気分にもなっていました。
さて、僕の日常は冒頭でちょっと書きましたが、それに加えて予備校にも通っていました。とあるツテで卓球部がある役所からお誘いを受けており、公務員を目指して勉強をしていたんですよね。
そんな日常に思いもよらない転機が再び訪れます。今度は事故でなくてよかったのですが(笑)、ひょんなことから"オリジナル必勝法"のライター面接を受けることになり、ありがたいことにライターとして活動ができるようになりました。
大好きなパチンコに携わる仕事が出来る幸せといったら…もうねー、言葉にできません! ひょんなことからと濁しましたが、実は母親が僕に内緒で応募してたんですよね。自分がライターになれるなんて思ってもみなかったことですが、物凄い運命だなと思い、やりがいも感じられたので、しばらくしてから予備校もインストラクターも辞めてしまいました。
パチンコのために仕事を辞めるなんて、サラっと書くととんでもないことをしでかしているように思うでしょう。いや、実際にそうなのかもしれません。しかし実は僕、学生時代はアルバイトを一切しておらず、週6で部活動をキッチリとこなしながら、パチンコで生計を立てていたんです。予備校の費用もすべてパチンコ貯金で賄っています。
なので、好きなことに関われるし、仕事がなくなってもなんとかなるという思いはあったんです。それに一度失った命だと思えば、好きなことを楽しんだ方が良いと思うようになっていました。これはあの事故がなかったら決断できなかったかもしれませんね。
そして忘れてならないのは、父親の影響です。僕の父親は、12年ほど前に仕事を辞め本格的にパチンコだけで生活しています。いわゆるパチプロですね。日常の生活費はもちろんですが、僕の学費、弟の学費、それら全てをパチンコで勝ったお金で賄ってくれていました。
「パチンコで勝ったお金で養ってもらうなんて絶対に嫌だ!」という方は絶対にいらっしゃると思うのですが(むしろそれが普通だと思います)、父のパチンコに真面目に取り組む姿勢、そして仕事として絶対に稼がなくてはいけないというハングリーさを目の当たりにすると、不思議と拒絶感は生まれませんでした。
以前はその凄さに全然気が付いていませんでしたが、人にどう思われようと今となっては誇りのお父さんですし、感謝の気持ちでいっぱいです。
そんな父のもとでパチンコで勝つ技術、立ち回りを覚え、今の自分のスタイルを身に付けました。Q太家一子相伝の立ち回りについては追々お話しできればと思います。
長い前置きになってしまいましたが、現在僕は"オリジナル必勝法"のライターとして活動しているわけですが、こんな若輩者の僕が連載ページを任せてもらえました。その名も…
【平成生まれの新世代パチプロ日記 日本の各地で打ってQ】
!!!
どこかで聞いたことあるって!? まぁそこはともかく、僕はあの暇死にしそうだった病室で夢見た企画をたったいま一歩一歩実現させているんです!
簡単に内容を説明すると、軽自動車1台で各県のパチンコホールを回って生活費を稼いで47都道府県回って来い!! というもの。ルールは…
1) 47都道府県回って200万円以上のプラスを目指せ!
2) 1つの県に7日以上滞在せよ!
(※県単位の収支でマイナスになった場合は、県の名産物を自腹購入で読者プレゼント)
3) 各都道府県で最低でも1人はオリ法の読者を見つけ、一緒に写真を撮ってもらい、ブログと誌面上で公開せよ!
の3つです。う~ん…無茶だな~と思うけど、でも良いんです! 自分の夢を実現しつつあるわけだし、好きなパチンコが仕事にもなっている。あの事故以来、せっかくなら人とは違う、誰にも真似ができないようなことがしたい! と思うようになっていたので、今は心臓が張り裂けそうなくらいわくわくした気持ちでいっぱいなんです!
旅打ち自体は既にスタートしています。誕生日である2013年の8月17日の茨城県を皮切りに、2014年1月1日現在で茨城県→福島県→新潟県→山形県→秋田県→青森県→北海道→岩手県→宮城県→栃木県→群馬県→埼玉県→千葉県の計13都道府県を巡りました。
各県の読者さんともブログやtwitterなどを通して出会うことも出来て、今のところは順風満帆な旅が送れてまっす!! ちなみにメインのパチンコでの収支はと言いますと+1213150円。今のところうまく行き過ぎて自分でも驚いてるんですけどね!!
すでに制覇(?)した県を塗りつぶしてみましたが…

面積でみると半分くらい来ましたかね!?
さて、このパチ&スロ必勝本では、1月6日から基本的に平日は毎日更新していきたいと思います。打った台やその地域のホールの特徴など、旅の記録の意味を込めて起こった出来事を色々と書き綴っていくつもりです。パチンコ好きの方は勿論のこと、名所めぐり的なこと書いていきたいと思いますので、旅好きの方も目を通していただけるととても嬉しいです。
旅に出る前に父親に言われた大事な言葉、
「やるなら本気でやれ」
と、僕の大好きな言葉
「it's a piece of cake」
(楽勝、朝飯前、とか楽観的な意味。実際には大変なことかもしれない、簡単ではない事の方が多いかもしれない。けどいつも全てのことをポジティブに楽勝だと思いながらやっていこう!)
をモットーにこれからも旅を頑張っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ちなみに、8月から始めた過去の旅の記録はアメブロ(Q太の一人旅)で読めますので、もし興味があればご覧ください。これからは母体をアメブロからこちらのパチ&スロ必勝本に移しますが、コラムで書ききれないことがあったら随時アメーバにも更新していくのでこちらのほうもよろしくお願いします。
これから年明けと共にどんどんと南下していきます。年明け1県目は静岡県。各県の読者さんに限らずパチンコ好きな皆さんとお会いできるのを楽しみにしてます!!
オススメのホールや食べ物屋さん、名所などがあれば感想メールから送っていただけると助かります。
なんとかなるさー