わしの原理原則とは!?
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ある日、ほとんど行ったことのない店で、約3年ぶりに「CRびっくりぱちんこ銭形平次withチームZ」打っていた。銭形は2011年に登場した台であり、この店での扱われ方(新台として導入してずっと設置or一度外して再設置など)は知らないが、恐らく4年以上使用されているのだろう。

わしが打った台は、目視した限りにおいて丁寧にメンテナンスが施されているように見えた。なぜなら、玉が頻繁に通過する風車近辺などにはゴミが付着しやすいものだが、盤面に特段目立つ汚れはなく綺麗だったからだ。もしも手抜きのメンテならば、見るも無残な汚い盤面を晒していただろう。

台枠に関しても、銭形の枠は仕事人3や冬ソナ2と共通だから使用期間は4年以上かもしれなかった。使い古されたハンドルもそこまでガタガタではなかったし、バネが悪くなってストロークがバラつくこともなかった。とにかく、この店の台はあらゆる部分においてメンテナンスが行き届いていると感心したのだ。


そんな感じで銭形(主に超絶カワイイゆうこ)を懐かしんで打っていると、玉貸ボタンを押しても玉が出てこなくってしまった。金額表示はエラーを示している。メンテの行き届いた店にしては…とは思わず、この時期は湿気のために玉の循環が滞りやすいということを聞いたことがあるから、素直に補給関係のどこかで玉が詰まっているのだろうと思った。

そこで補給を点検してもらおうと呼び出しボタンを押したのだが、すかさず女性店員がやってきてくれた。そしてエラーと台の状態を確認すると、「スミマセン、少し台を開けますので」と席を立つように促された。せっかく席を立ったので、わしは立ち位置から見渡せる範囲の台の釘を上から見下し、大雑把に全体的な調整を確認して自分の台に視線を戻した。

すると、処置を終了した店員さんがヘソにサービス玉を入れてくれたのだ。そして素晴らしいスマイルで「お待たせしました」とガラスを閉じて処理が終わった旨を伝えられた。この日は同じエラーがもう一度あったのだが、2度目は男性店員がサービス玉を入れてくれた。

ここで注目したいのが、サービス玉を入れてくれた両者が共に4玉ヘソに入れてくれたことである。試行回数が2回しかないから断言はできないが、恐らくこの店のマニュアル通りの対応なのだろう。

お客さんの立場からすればこの対応は嬉しい限りである。ケチ臭い話になるが、千円あたり20回転の台を打っていたとすると、1回転は50円の価値があるということになる。要するにヘソに4個入れてもらえば200円が丸儲けと言えなくもない。しかもヘソの払い出しもタダで受けられるのだ。

いや、そんな話がしたいのではない。全員の対応が同じならば、誰に頼んでも上記のように同じ結果が得られるが、人によって対応が違うのであれば、どうすればよいのだろう? こんな話がしたかったのだ。


かつて、ある理由から狭い場所に玉が集中的に集まってしまうゲージ構成になっていたマックス機のガンダムをマイホールで打っていた時、盤面上で玉が詰まるいわゆる「ぶどう」になってしまうことがあった。これはかなり確率の低い現象ではあったが、ガンダムを相当打ち込んだわしには、それなりの確率で遭遇する出来事であった。

そこで店員を呼んで処理してもらうのだが、試行回数が増えるに連れ、店員によって対応に違いがあることが分かってきた。極端な例を挙げると、引っかかった玉を崩して終わりにする者、その処理に加えてサービス玉を4つ入れてくれる者に分かれる。

仮に前者をA、後者をBとしよう。各々の価値観にも関係してくるところだが、仮にAが素晴らしい接客でBが無愛想だとしても、わしは間違いなくBを選ぶ。ちなみにこれはマイホールでの話だから、対応してくれる店員の顔は元々知っている。そこで自然とB対応の人を指名して処理してもらうようになった。またA対応の人しか見当たらなければ、B対応の人が現れるのを待った。概ね5分程度は待つ価値が充分にあっただろう。繰り返すが、金額換算でゼロと200円の違いがあるのだ。


余談ながら、Aしかいない場合は「ぶどう」を自ら軽く刺激して引っかかりを解消させる手段を選ぶ。これは当たり前だが、Aなら引っかかっている玉は容赦なく全てアウト穴に入れられるからだ。自ら刺激した場合、もしかしたら2つぐらいはヘソに入る可能性がある。これらは、わしが場末のパチンコ打ちとしてパチンコに対する「原理原則」がシビアに出ている事例と言えるだろう。

さしあたって、これらの行為をセコいと思うか、ズルいと思うか、そこまでするか!? と思うか、パチンコ打ちなら当然だと思うか。その判断は読者に委ねることにしたい。



追記
七月場所は照ノ富士春雄が新大関として満足できる結果を残したが、その一方で豪栄道が春雄に勝った相撲は他の力士に春雄攻略法を示したような一番に感じた。このようなうまい相撲が豪栄道の真骨頂であるが、大関昇進後の表情から察するに地位の重さにもがいているようだ。稀勢の里にも同様のことが言えるが、本来持っている実力を常時発揮できない彼らを応援せずにはいられない。

また鶴竜は引かなかったら強いと改めて思ったし、白鵬戦で勝負がついた後に顎への強烈なダメ押しを喰らってしまった逸ノ城は気の毒に思った。白鵬も虫の居所が悪かったのかもしれないが、明らかに本調子を欠いていた逸ノ城に対してやりすぎだろう。わしは逸ノ城が穏やかで欲得の薄い性格の持ち主だと分析しているから、この二度押しのダメ押しが心根の優しい逸ノ城に悪い影響を与えないことを祈るばかりだ。

ところで、執筆時点(千秋楽打ち出し直後)での正式発表はまだだが、40歳の旭天鵬と39歳の若の里が引退の意向を示したようだ。旭天鵬の場合は正式発表の前に白鵬が優勝インタビューで本人の意志を先にバラしてしまうオチがついたが、これは旭天鵬が仲間から慕われている人柄が現れたエピソードで微笑ましかった。

もう一人の若の里。昭和51年組最後の生き残りである自身の美学は「ボロボロになるまでやること」だとテレビで紹介されていた。自らが信じる現役としての進むべき道を全うし、親方株をすでに取得しているから、今後は親方として進むべき道が決っている。やはり、ひとつの道をやり遂げた人は偉大だと思う。

その一方で若の里と同級生のわしは、かつて本で読んだ「人は苦境に立てば、目先の問題を解決しようと楽な道を選んでしまうもの」の言葉を思い出す。まさにわしが辿ってきた人生そのもので、何度かあった全ての転機で目先の問題しか見ていなかった。その最たる例がパチンコ打ちを選んだことで、結果として不惑を目前に控えて再度これまでと同じ問題に対峙するハメになっている。学習能力がなく愚かな選択を続けた自分自身に悔やんでも悔みきれない思いに何度も駆られてしまっている。

さしあたり、次の選択は年齢的にも失敗は許されない。次の選択はひとつのことをやり遂げたい。そんなことを若の里に教えてもらったような気がしている。