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- 打チ人知ラズ。(わし)
Flew to South Korea
2003年頃から数年間、世間は空前の韓流ブームに沸き返っていて、「微笑みの貴公子」と呼ばれたペ・ヨンジュン氏がその中心にいた。わしも2006年に登場した冬ソナのパチンコ版で韓流コンテンツを知り、パチンコから逆輸入的にドラマにもハマってしまった。
基本的に韓流ドラマというのは話数が多く、それが原因というわけでもないだろうが、話が進むに連れて奇想天外なエピソードがしばしば出てくる。それが日本のドラマと大きく異なるところなのだが、それが新鮮でもあり、面白いところでもある。
冬ソナで言えば、チュンサンが2度も交通事故で瀕死の重傷を負って長期間の昏睡状態に陥るも、その都度記憶を失ったり甦らせたりしながら奇跡的な生還を果たす…などであろうか。もしこれが現実の世界で起これば、どちらも間違いなしの死亡事故である。なんせ2度目の事故では思いっきりダンプカーに轢かれているのだ。
余計なお世話だが、「ドラマだから…」と割り引いて考えても少し無理がある展開だと言わざるを得ない。しかしそこをひょいと軽く乗り越えてしまうあたりが韓流ドラマたる所以であり、そういう強引なところがなければもはやそれは韓流ドラマではないとすらも言える。
そしてそんな事故シーンをパチンコにおけるキモの演出として上手く使っているのだから、それこそまさに開発者が勘どころがわきまえているという証左に他ならないのだ。
そんな韓流ブームの真っ只中、テレビで韓流時代劇が流れているのを偶然目にした。それは李氏朝鮮王朝時代の物語で、宮中の女官たちによって料理対決が行なわれたりするのだが、そこで提供される料理が本当に見事だったのだ。同時期の日本は織田信長登場以前の室町時代にあたるから「時代考証が間違っているのでは?」と思ったほどである。
これまでのドラマで信長が品数豊富な料理に舌鼓を打つシーンなどは見たことがなかったし、信長の時代にそれほど美食文化が豊かだったということを聞いたこともない。まぁ天下人になった信長は当時の最高の食事を摂っていたのだろうが、そもそも信長が出てくるドラマで料理にスポットを当てることはありえない発想だろう。そんな思いも加わり、他国の時代劇と雅な料理の組み合わせに興味をそそられたわけだ。
きっかけはそんなところだったのだが、お互いの出自を知らずに師弟関係となった師匠のハン尚宮(サングン)と弟子のチャングムが、あるエピソードからお互いの出自を知ることになり涙の抱擁(ハグ)をかわす屈指の感動のシーンを見て決定的にこのドラマにハマってしまった。
そのドラマは「チャングムの誓い」というものだ。わしのチャングム熱はすさまじく、当時失業中で時間を持て余していた友人の斉藤(男)と大韓航空機に乗って韓国へ行くというところまで高じてしまったのだか…その時のことについて少し書いてみたい。
まず、出発のため機内に乗り込むと、斉藤がいきなり、CAさんから「アニョハセヨ」と挨拶されたのを見て大ウケしてしまった。パッと見では韓国人か日本人かの見分けはつきにくいだろうなと思ってはいたが、CAさんにとっては確定的だったのだろう。
しかし会心の笑みを含んだ挨拶にまったく反応しない斉藤が日本人だと気付き、バツが悪いのかCAさんはそそくさとその場を離れてしまった。その後ろ姿を目で追っていた斎藤は、小声で「日本語の新聞読んでるやんけ~」と悲しげにボヤいたので笑いをこらえるのが大変だった。ちなみに、わしは片言の日本語で「いらっしゃいませ」と挨拶されたたことを付け加えておく。
とまぁ、受難な出発となった斉藤だが、到着後の差配は見事であった。現地では夜から知り合いと会う予定を組んでおり、それにわしも同行させてもらうことで、本場のマッコルリとカルビ焼き肉で舌鼓を打つことができた。
そして翌日。この日のスケジュールは一任を得ているので、わしの訪韓目的であったチャングムのテーマパークにオプションツアーを申し込んで出かけることに。
会場へ入ると、付き添い感丸出しの斎藤をよそに、ドラマで見た景色やオープンセットが所狭しと展示されているのを見てわしは一人ではしゃぎまわった。そして例の屈指の名シーン、師弟が抱擁を交わした場所もあり、ドラマの感動が再びわしの心の中でざわめく。
次に水刺間(スラッカン)という調理場に目が留まった。ここは映像で見るより遥かに狭く感じたのだが、ドラマの現場としても使われていたということで、わしが大好きな美人悪役のチェ尚宮の等身大パネルが記念撮影用として置かれていた。そこで、つまらなさそうに佇んでいた斉藤をカメラマン扱いし、構図から背景の写り込みまで細かく指示してパネルとのツーショット撮影に挑んだのは言うまでもない。
「日本とは違う発展を遂げた」と調理器具の解説をするツアコンのおばさんの流暢な日本語も印象に残っているが、とにかく何もかもを満喫してとても充実した1日であった。
余談ながら、韓国行きは伊丹からも関空からも日に何本も飛んでいる。斉藤は東大阪市在住だから両空港の利便性は非常に高いが、わしのスケジュールの関係で羽田から出発することにしたのだ。
別々の場所から出発して韓国の空港で待ち合わせすれば良いのだが、読解不能なハングルだらけのアライバルカードの記入、理解不能な韓国語での質問をイミグレで喰らうなどももちろんだが、不測の事態などで現地で合流できないことを恐れ、わしも斉藤も別行動するとこには腰が引けていた。
結局、斉藤が早朝の新幹線に乗って新大阪から品川まで約2時間半かけてやって来ることになったのだが…自宅からだと正味4時間近かっただろう。合流後わしの顔を見るなり、「大阪の人間は電車で関空行くのに、なんで俺はわざわざ新幹線に乗って羽田まで来なアカンねん! 大阪に住んでて韓国行くのに羽田出発はありえへん選択やわ~」とずいぶんとボヤいていたのも責められない。
しかしこの選択に落ち着いたのは、事前の打ち合わせで「失業中やからお前の方が時間あるやろ?」と斉藤の痛い所を突いたわしのツッコミに斉藤が閉口せざるを得なかっただけの話でもある。わしは時間を買ったようなもので、復路の新幹線代はわしが持ったことは声を大にして言っておきたい。
とにかく、わしはわざわざ韓国のテーマパークに行くほどにチャングムが好きだったのだ。告白を重ねれば、師弟のハグを見て感動した後、54話分全てのDVDを即買いした。また三越本店で行なわれていたチャングム展にも行ったし、東京ドームでのファンミーティングに1人で参加したりもした。おそらくそれが日本におけるチャングムブームのクライマックスで、その場に立ち会えたことはわしの数少ない自慢の1つになっている。
そこまで溺愛したチャングムが2009年にパチンコ版として発表されたのだ。ただ単に好きな機種がパチンコ化したというのとは訳が違うということは、ここまでの経緯から分かってもらえると思う。
しかも赤坂サカスでの新機種発表会にはチャングムの友人役の女優が来場するというウワサを聞きつけ、あるルートを使って発表会に紛れ込んだりもした(この女優さんが近ごろ結婚したと聞いて、なんとなくガッカリしたが)。
この紛れ込みは「役得」かもしれないが、情報提供者に提供の対価として取材現場で最前列の座席取りを命じられてコキ使われるし、この人物が当時ハマっていた銀行株の話を延々と聞かされた嫌な記憶もある。結局、「普段味わえないマスコミ業界の末端を垣間見ただけでも社会勉強になった」と自分自身を無理やり納得させるしかなかった。結局は「タダより高いものはない」という歴史の教訓を引き継いだにすぎない。
そのような経緯を辿ってチャングムのパチンコ台が導入され、わしの場合はミドル機よりも長く設置されていた甘デジを良く打った。冒頭の料理対決シーンがリーチ演出の要諦で、ハグのシーンも高信頼度を誇るリーチとして採用されていた。これらの演出群はチャングム好きのわしも充分納得できる素晴らしいデキであった。
さしあたって、このチャングムの第二弾にも期待を膨らませている。冬ソナとは違って、まだまだパチンコ演出に盛り込まれていない名シーンが数多くあるように思っている。ただ、第二弾登場までには高いハードルがありそうなこともあり、静かに「その時」を待っているところなのだ。