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- 打チ人知ラズ。(わし)
清々しい温かみ
わしの携帯は、いわゆる「鳴らない電話」である。理由は申し述べるまでもないが、わしに用事がある人間など誰一人いないからだ。
パチンコ台と「にらめっこ」の毎日を過していれば必然的に日々無縁化していくし、逆にわしにとっても電話すべき相手がいないのだからこうなるのも必然か。いずれにせよその無縁化の延長に、「鳴らない電話」が鎮座しておるわけだ。
ちなみに、パチンコ稼働時に携帯を必要としないわしは、この電子部品の集積体を自宅に置き去りにしている。パチプロっぽい人が稼働時に一日中スマホを見ていることは多いが、わしはパケット料を惜しんで自粛する。
またわしの信念として、パチンコ台が一生懸命演出を見せてくれているのに携帯イジリに没頭して画面を無視するというのは、どうもパチンコ台に対して無礼ではないかとも感じるのだ。
そうは言っても内情はパチンコ台を相手に寂しさを紛らわせているに過ぎず、これは虚しさとの戦いに相違ない。
そんなこともあって、稼働を終えて帰宅すると真っ先に置き去りにされた携帯の着信の有無を確認することとなる。この行為は、わしが世間との繋がりを切望している証左だろうか。いずれにせよほとんどの場合は誰からの着信もないため、絶望的な孤立感に苛まれるだけだ。そしてこれが毎日繰り返されていくのである。
まぁ…自分自身で選んだパチンコ打ちという人生をチンタラ歩いてきた結果として現在の無縁があるのだから、これはもう自業自得としか言いようがない。
一方で問題もあったりするのだが、それは休日などで一日中自宅に滞在している時などに起こる。諸事情から携帯を持ち歩くバイト日と、携帯を家の中で置き去りにしている稼働日数の比較では圧倒的に稼働日が多い。そのため、携帯は知らず知らずのうち、脱ぎ捨てられた服の下などに埋もれて行方不明になっているというのが現実だ。
先日、この世で唯一わしのことを気にかけてくれる、おかん(母親)から電話があったのだが、その着信に気が付いたのは2日後であった。その原因は、
・服に埋もれて着信音が聞こえなかった
・寝ていた
・PCでネットに夢中になっていた
・風呂に入っていた
・次の日のパチンコ稼働をイメージトレーニングしていた
…程度の理由なのだが、とにかく、鳴らない電話がたまに鳴るとこのザマである。
正味な話、なまじおかんから急に電話があったりすると、こちらが聞きたくない事態でも起こったのかと不必要に心配し、気を揉んでしまう。とりあえず、気が付いた時点で折り返しの電話を入れたのだが、風呂にでも入っているのか…出なかった。まったく呑気なBBAだ。
しばらくするとふたたび着信があった。この間、おかんが何をしていたのかは聞かなかったが、要件は「免許証のコピーを送ってほしい」、ただそれだけだった。ひとまず家族は無事に暮らしているようで何よりだ。
翌日、近所のコンビニまでコピーを取りに行った。わしは機械オンチだからコピー機の操作は邪魔くさいのだが、下手に失敗して無駄な支出を増やすのも馬鹿らしい。こんなものでも可能な限り支出を抑えたい中、コピー1枚10円で済んだのは非常に助かった。
郵送に使う封筒については家に転がっているのを確認済みだから、あとは切手を買えば良い。ちょうどレジに先客がいないから早く用事を済ませそうだ。
さりげなくレジに立つと、近所の主婦パートさんと思われる女性が応対してくれた。切手を買おうと、「◯◯円切手をください」と言葉を切り出そうとしたが…、瞬間的に『消費増税の影響で値上げしているのでは?』という疑問が脳裏をかすめる。現行の封筒用切手の値段を知らないことに気が付いたわけだ。
頭が真っ白になってしまった。葉書用ではないから50円切手でないことはハッキリしていた。たぶん、封筒用は80円だったのが値上がりしているのだろうと予想した(その50円と80円という値段ですら合っているのか不明)。しかしながら、そもそも増税前のハッキリした切手の金額がわからない…などと頭の中で堂々巡り。
わしが切手を利用していたのは、子供の頃、雑誌の懸賞に応募したことぐらいだろうか。その頃、つまり昭和末期の消費税導入前は、はがき用が40円で封筒用が60円だったハズである。それ以降、切手の値段のことをよく知らなかった。すなわち、人ばかりでなく、切手とも無縁で生きてきたということになるのか。
と、ここで知らないことを考えるムダを悟り、「あのー…」とレジに立つパートさんに顔を向けた。何の根拠もないが、パートさんはわしよりも3歳年上な気がした。さすればわしが生きてきた時代を知っているし、同じ過去を共有していると判断し勝手に断定したのだ。そこでわしの口をついて出てきた言葉は、
「封筒用の切手をください。昔の60円のやつです。今の値段は知りませんが…」
というものだった。
わしのこんな適当すぎる注文に、パートさんは「今は82円なんですよ。そうですよね~、昔は60円でしたよね(にっこり)」と、女神のような微笑みで切手を手渡してくれた。わしが勝手に3歳年上と推測した上での無礼な発言だとは微塵も感じていないようだ。それにしても、素晴らしい微笑みだったなぁ。
こんな経過をたどっておかんからの用件を無事にこなせたのだが、わしはふとした気付きを得た。わしがこの世で最も切望しているのは、このパートさんのような優しさに満ちた人の温もりであると。たとえそれがマニュアル通りの対応であったとしても一向に構わない。
わしは普段からパチンコ台相手に無味乾燥的な耐え難い日常を送り続けている。しかも、所持している携帯は鳴らない電話だ。そんな中では、この程度のひと時にも「人の清々しい温かみを感じ」てしまう。
敢えて言うまでもない。電流が通ったパチンコ台も良いが、やはり血の通った人間の方が良いと改めて思い知ったのだ。「ありがとう、パートさん!」と心から言いたい。